日本語(yǔ)を?qū)Wんだ朝鮮族の中國(guó)人の思い=「國(guó)籍にも民族にも縛られず、世界人の一人として」

日本僑報(bào)社    2015年3月24日(火) 14時(shí)13分

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日本と中國(guó)、韓國(guó)は近年、歴史や領(lǐng)土などをめぐる爭(zhēng)いが続いている。朝鮮族の中國(guó)人で、大學(xué)で日本語(yǔ)を?qū)Wんだ崔英才さんは、その特別な境遇と日本語(yǔ)を?qū)Wんだことによって変わった自分について作文に記している。資料寫真。

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日本と中國(guó)、韓國(guó)は近年、歴史や領(lǐng)土などをめぐる爭(zhēng)いが続いている。朝鮮族の中國(guó)人で、大學(xué)で日本語(yǔ)を?qū)Wんだ崔英才さんは、その特別な境遇と日本語(yǔ)を?qū)Wんだことによって変わった自分について次のように作文に記している。

その他の寫真

小學(xué)校の時(shí)から文章を書くのが好きで、時(shí)々「作家になりたいな」と漠然と思うことがありました。大學(xué)に入って本格的に日本語(yǔ)を?qū)煿イ工毪瑜Δ摔胜盲皮椁?、その?yuàn)望が次第に強(qiáng)くなってきました。

私は中國(guó)で生まれた朝鮮族です。そもそも日本語(yǔ)の勉強(qiáng)を始めるようになったのも、私がこの朝鮮族の出身だということがきっかけだったと言ってよいでしょう。私は日常的に使っている朝鮮語(yǔ)とよく似た文法を持ち、中國(guó)語(yǔ)と同じ漢字を使っている日本語(yǔ)が自分にぴったりだと思ったのです。

日中韓三國(guó)の間には、長(zhǎng)い間「近くて遠(yuǎn)い國(guó)」という表現(xiàn)がよく使われてきました。三國(guó)は地理的に近い隣國(guó)同士であることはもちろん、歴史的にも文化的にも同じ漢字圏にあって、相互に影響を與え合ってきました。しかし、不幸なことに、隣國(guó)同士というのは、よく不和と摩擦を繰り返すものでもあります。近年の大規(guī)模な反日デモを目にし、私は日中戦爭(zhēng)が終わって何十年も過(guò)ぎたのに、いまだに三國(guó)は戦爭(zhēng)の影響から抜けきれていないことを?qū)g感しました。

大學(xué)に入って、三國(guó)の人たちと実際に交流する機(jī)會(huì)を持つようになった私は、三國(guó)の人たちがお互いに理解不足なこと、そして、常に自分の物差しでしか相手を判斷しようとしていないことに気がつきました。もっと殘念なことは、私が読んでみた何冊(cè)かの日中韓三國(guó)を比較した本の中にさえ、偏見や感情的要素が入っているのを感じざるを得なかったことです。それは、筆者自身が三國(guó)のいずれかに屬する人間だから仕方のないことかも知れません。

私は中國(guó)で生まれた朝鮮族です。今まで完全な中國(guó)人だと思ったこともなければ、一度も行ったことのない韓國(guó)の朝鮮族だと思ったこともありません。そればかりでなく、日本語(yǔ)を?qū)煿イ筏皮椁?、中?guó)や韓國(guó)より経済のみならず、いろいろな面で発達(dá)している日本に強(qiáng)く引かれるようになりました。

こういう愛國(guó)心も、民族心も、どちらも足りない自分に、ある時(shí)は複雑な気持ちになり、恥ずかしいと思うことさえありました。しかし、今は違います。こういうどちらにも偏らない立場(chǎng)から、日中韓三國(guó)を一つの視野に入れて比較することによって、三國(guó)のそれぞれの個(gè)性を浮び上がらせ、その同質(zhì)性と異質(zhì)性が理解できるのではないか、と気がついたからです。

今までは中國(guó)の學(xué)校教育やマスコミ報(bào)道だけに限られた狹い視野しか持てなかった私は、日本語(yǔ)の世界にひたっていると、國(guó)籍にも、民族にも縛られないで、世界人の一人として自由に物事を見て、判斷できるような気がします。そして、社會(huì)のあり様をありのまま表現(xiàn)できるのが、文學(xué)にほかならないのではないか、と考えるようになったのです。

「これからの21世紀(jì)は、東洋の時(shí)代、アジア太平洋の時(shí)代」と言われている今日においても、三國(guó)の間に理解不足による不和と摩擦があることは、実に殘念なことです。私は、日本語(yǔ)を勉強(qiáng)している中國(guó)の朝鮮族の一人として、自分が持っているこの有利な條件を充分に生かし、三國(guó)のいろいろな分野の問(wèn)題について、比較研究した文章をたくさん書いて発表していけたらと心から思っています。(編集/北田

※本文は、第一回中國(guó)人の日本語(yǔ)作文コンクール受賞作品集「日中友好への提言2005」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2005年)の、崔英才さん(延辺大學(xué))の作品「私の夢(mèng)―私と日本語(yǔ)―」を編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

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