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寫真は2007年6月、キッシンジャー氏が南京大學(xué)で公演する様子。
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2007年8月13日、中國(guó)の世界知識(shí)出版社より今月出版された黃華(ホアン?ホア)前外交部長(zhǎng)及び前國(guó)務(wù)院副総理の「親歴及見(jiàn)聞―黃華回顧録(原題)」を紹介する報(bào)道があった。
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黃華氏は今年92歳。若い頃、「中國(guó)の赤い星」で有名な米國(guó)人ジャーナリスト、エドガー?スノーの通訳を務(wù)めたこともある彼は、新中國(guó)成立後まもなく外交部に配屬され、激動(dòng)の時(shí)代を國(guó)家とともに歩んできた。その回顧録の一部を紹介する。
それによると、1971年7月9日、周恩來(lái)首相はキッシンジャー米大統(tǒng)領(lǐng)補(bǔ)佐官と、両國(guó)の國(guó)交正常化に向けて6度目の非公式の話し合いを持った。その席上周首相は、朝鮮戦爭(zhēng)の際に米國(guó)が臺(tái)灣を包囲し「臺(tái)灣の地位は未定」と宣言したことを批判。キッシンジャー氏も「もし朝鮮戦爭(zhēng)がなかったら、臺(tái)灣はすでに中國(guó)の一部分になっていたかもしれない」と発言。今後米國(guó)は2度と「臺(tái)灣地位未定論」を振りかざすことはしないと約束したという。
回顧録は、中?米両國(guó)の國(guó)交正?;搬幛尉o迫したやりとりを詳細(xì)かつ鮮明に描いており、歴史資料としての価値も高いと伝えられている。(翻訳?編集/本郷智子)
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