趙紫陽元総書記の遺灰、ようやく埋葬か=中國當(dāng)局が遺族と協(xié)議開始―仏メディア

Record China    2015年4月7日(火) 15時(shí)56分

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6日、1989年に中國當(dāng)局が民主化運(yùn)動(dòng)を武力弾圧した天安門事件に絡(luò)んで失腳した改革派、故?趙紫陽元共産黨総書記の死去から10年を迎え、北京市當(dāng)局がこのほど墓地への埋葬について遺族と協(xié)議を始めた。寫真は趙氏。

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2015年4月6日、仏國際放送ラジオ?フランス?アンテルナショナル(中國語電子版)によると、1989年に中國當(dāng)局が民主化運(yùn)動(dòng)を武力弾圧した天安門事件に絡(luò)んで失腳した改革派、故?趙紫陽(ジアオ?ズーヤン)元共産黨総書記の死去から10年を迎え、北京市當(dāng)局がこのほど墓地への埋葬について遺族と協(xié)議を始めた。

その他の寫真

北京市當(dāng)局はこのほど、趙氏の息子たちのもとへ関係者を派遣。埋葬先は民間の墓地になる可能性が高いという。遺族らは「時(shí)間がかかりすぎた。10年たってプレッシャーも大きくなり、彼らもわれわれの両親の埋葬に対する責(zé)任を負(fù)いたくなくなったのだろう」と話した。趙夫妻の遺灰は今も自宅に保管されたまま。息子の一人は「墓碑に『動(dòng)亂と黨の分裂を支持した』と刻みたい。家族にとってそれは恥ではなく、光栄なことだから」と語っている。

趙氏は89年に失腳後、05年1月に亡くなるまで自宅で軟禁生活を強(qiáng)いられていた。死去後、當(dāng)局は黨幹部公墓への埋葬を遺族に打診したが、局長クラスの埋葬地だったため遺族が拒否。黨総書記、國務(wù)院総理としてしかるべき場所へ埋葬するよう求めていた。(翻訳?編集/大宮)

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