「尖閣諸島は日本固有の領(lǐng)土」に、日本人學(xué)者がデータに基づき反論―中國(guó)メディア

Record China    2015年4月12日(日) 21時(shí)34分

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10日、人民日?qǐng)?bào)は、村田忠禧橫浜國(guó)立大學(xué)名譽(yù)教授の最新著書(shū)「史料徹底検証 尖閣領(lǐng)有」の內(nèi)容を紹介した。村田教授は「尖閣諸島は日本固有の領(lǐng)土であるとの日本政府の主張に対して、全面的に反論する」と語(yǔ)っている。資料寫真。

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2015年4月10日、中國(guó)紙?人民日?qǐng)?bào)は、橫浜國(guó)立大學(xué)の村田忠禧名譽(yù)教授の最新著書(shū)「史料徹底検証 尖閣領(lǐng)有」の內(nèi)容を紹介した。村田教授は「尖閣諸島(中國(guó)名:釣魚(yú)島)は日本固有の領(lǐng)土であるとの日本政府の主張に対して、全面的に反論する」と語(yǔ)っている。

その他の寫真

村田教授によると、明治政府が1879年に琉球藩を廃止して沖縄県を設(shè)置した時(shí)、尖閣諸島はまだ日本に屬していなかった。1885年、內(nèi)務(wù)卿?山縣有朋は、沖縄県令?西村捨三に対し、清と沖縄の間に存在する無(wú)人島がどこに帰屬するのかを明確にし、標(biāo)識(shí)を設(shè)置するよう指示した。しかし、西村捨三はこれらの島々が清朝と関連があることを知っており、直ちに実施しなかったため、最終的に山縣有朋は標(biāo)識(shí)設(shè)置の中止を命じた。

また、1894年、當(dāng)時(shí)の沖縄県知事?奈良原繁は、內(nèi)務(wù)省高官に宛てた手紙の中で、「魚(yú)釣島(中國(guó)名:釣魚(yú)島)や久場(chǎng)島(中國(guó)名:黃尾嶼)が日本に屬していたと証明できるいかなる歴史文獻(xiàn)や言い伝えも存在しない」と記していたという。

さらに、外務(wù)省がホームページ上に、「1885年以降、日本政府は沖縄県當(dāng)局などを通じて尖閣諸島の現(xiàn)地調(diào)査を幾度も行った」と記していることに関し、村田教授は「幾度もの調(diào)査は実施していない」と反論。日本政府の尖閣諸島に対する調(diào)査は、1885年10月に沖縄県の擔(dān)當(dāng)者がわずか數(shù)時(shí)間の調(diào)査を行っただけにすぎないと主張する。

日本政府が1895年に閣議決定を行い、尖閣諸島を日本の領(lǐng)土に編入したことに関しては、「國(guó)內(nèi)及び國(guó)際社會(huì)に対して正式に公布していない。こうした火事場(chǎng)泥棒的な行為に合法性はなく、國(guó)際法あるいは國(guó)內(nèi)法に照らし合わせても認(rèn)められず、盜み取ったとしか言いようがない」と批判する。

村田教授は「著書(shū)の資料はアジア歴史資料センターや國(guó)會(huì)図書(shū)館、外務(wù)省のデータベースなど、すべて公開(kāi)されているデータに基づいているため、いかなる人の検証や反論も恐れない」と語(yǔ)っているという。(翻訳?編集/秋田)

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