日本人の先生に「なんてやつだ」と反感、3年後にその真意を知って…―中國人學生

日本僑報社    2015年4月17日(金) 12時17分

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14日、政治的な対立とは裏腹に日中間の経済?文化的交流は盛んだ。西南交通大學外國語學院の陳露穎さんは、自身が接した日本人の先生について作文につづっている。

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2015年4月14日、中國紙?新民晩報は政治的な対立とは裏腹に日中間の経済?文化的交流は盛んだと伝えた。今年の春節(jié)には多くの中國人観光客が日本を訪れたほか、文部科學省の統(tǒng)計では中國に留學する日本人學生が前年比で18%増加した?;イい螄稳摔酥苯咏婴工毪长趣祥v係改善の基礎となる。西南交通大學外國語學院の陳露穎さんは、自身が接した日本人の先生について、次のようにつづっている。

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その日の朝、目が覚めたとき、はっと思い出した。あっ、先生の授業(yè)は今日だっけ。出るものか。先週は発音の間違いを散々注意されたもの。でも、先生は今日の授業(yè)で良いものを見せてくれると言っていた。橫になっていた私は勢いよくベッドから起き上がった。時計を見ると、もうこんな時間。今から行ったら、きっと怒られるだろう。でも、良いものって何だろうか。私は歯磨きもそこそこに、走って教室へ行った。

教室まで2、3歩のところでかなを読む聲が聞こえてきて、先週のことが思い出された。私は何度も発音の間違いを直されてしまった。顔から火が出るほど恥かしくて、穴があったらすぐ飛び込みたい思いがした。その上、授業(yè)の後に殘って1時間ほど発音の練習をするようにと厳しく言われた?!袱胜螭皮浃膜馈J埭背证沥蜗壬袱悚胜い护恕工嚷劋长à胜ぢ暏扦证膜证难预盲?。

「そんな思いは二度としたくない」と引き上げようとしたところ、ドアが開いた。先生だった?!戈悿丹?、入って。待ってたよ」。その意外に優(yōu)しい口振りにびっくりした。後ろの席に腰を下ろすと、先生は授業(yè)を続けた。またしても発音の練習。つまらない。早く良いものを見せてくれよと思っているうちに、先生に名前を呼ばれた。私は恐る恐る立ち上がって前へ行った。

先生はかばんから絵巻物のようなものを取り出して、その端を私に持たせた。そして大事そうに開いた。すると、みんなが「わあっ」と聲を上げた。梅の花だった。「これはね、最近、中國水墨畫の塾に通っていて、その時に描いたもの」と先生。「でも、中國語が下手で塾の先生とうまく交流できないから、通訳がほしい。陳さん、通訳になってもらえませんか」と言った。私はびっくりした。発音さえままならない私に通訳を頼むとはどういうことか。でも、みんなの前で弱音を吐いたらばかにされるに違いない。そう考えた私は思い切って「はい」と返事をしてしまった。

こうして私は先生と一緒に塾に通うことになった。正確に通訳できたことは少なかっただろうが、たまにできたときはどんなに喜んだか分からない。このままではだめだ、と思って、小さなノートとペンを用意して、分からなかった言葉をメモして、後で勉強することにした。知らず知らずのうちに3年がたってしまった。通訳の仕事をしているうちに日本語が好きになった。でも、先生はなぜ私を選んだのかとずっと不思議に思っていた。

ある日、先生にこのことを聞くと、先生は「実はね、私、中國に留學していたことがあるの」と言った。私は黙り込んだ。すべり止めで日本語専攻になり、當時は闇の世界に落ちてしまった感じだった。日本語を習う人は軽蔑されると思い込んで、ずっと勉強する気力がなかった。先生はこのことに気づいたのだろうか。中國で留學していたのに、塾の先生とうまく交流できないはずはない。それなのに私に通訳をさせたのは、日本語を習う意欲を持ってほしかったのだろう。突然、目の前の先生の姿が大きくなった気がした。(編集/北田

※本文は、第四回中國人の日本語作文コンクール受賞作品集「私の知っている日本人」(段躍中編、日本僑報社、2013年)より、陳露穎さん(西南交通大學外國語學院)の作品「私の知っている日本人」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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