Record China 2015年4月26日(日) 3時20分
拡大
24日、東京に到著した日は日曜日だった。到著口から出ると、「中日メディア交流団」と書かれた橫斷幕を持った人が見えた。寫真は皇居。
(1 / 2 枚)
2015年4月24日、日本を発つ前日、日本側(cè)は我々にアンケート用紙を配った。1つ目の質(zhì)問には、「1週間の視察旅行を経て、あなたが見た日本と以前理解していた日本とで、何か変わったところはありましたか?」と書かれていた。それに対して私はこう答えた。「日本人は想像していたよりもっと真面目で、もっと文明的だった」。(文:葛怡然[ガー?イーラン]、新華網(wǎng)掲載)
【その他の寫真】
■ひっそりとして寂しい日本の街並み
東京に到著した日は日曜日だった。到著口から出ると、「中日メディア交流団」と書かれた橫斷幕を持った人が見えた。夜の宴會までまだ數(shù)時間あるので、主催者側(cè)は我々を皇居の二重橋に案內(nèi)した。東京の人口密度の高さは世界的にも有名だ。訪日する前、中國社會科學(xué)院日本研究所の高洪(ガオ?ホン)副所長は我々のために講演を行った。高氏は、「東京の建造物は地上にも、地下にも數(shù)層にわたる大きな空間が広がっている。もし東京の全人口が路上に出たら、立つ場所がなくなるほどだ」と語った。このため、私の頭の中には、東京の街並みは上海のように賑やかで活気があるイメージが出來上がった。しかし、我々を乗せたバスから見た皇居の道には人影が見えなかった?;示婴蠔|京の中心地だというのにだ。
通訳の久美さんは、「週末で、みんな家にいるのかもしれない」と説明した。東京は國際的な大都市で、地価も非常に高いので、一般的には若者層だけが都內(nèi)の狹いアパートに住み、ほとんどの人は結(jié)婚後、周辺のベッドタウンに移り、そこで車庫付の家を購入できペットを飼うことができる。
まさか日本人は街を出歩かないのだろうか?東京、仙臺、大阪…このような都市のどんなに大きなデパートでも、夜8時には閉店する。夜10時まで開いているのは、ドラッグストアぐらいのものだ。逆に、郊外の大型ショッピングセンターの閉店時間は若干遅い。このため、日本人のほとんどは、居酒屋やカフェ、レストランなどでナイトライフを楽しむ。
日本を訪れて2日目、朝日新聞社を見學(xué)しに行く時、ちょうど通勤時間とぶつかった。運(yùn)転手は、謝りながら、「渋滯するかもしれません」と言った。しかし、この程度の渋滯なら、中國の通勤ラッシュ時とは比べられない。日本の土地資源は限られており、東京でさえ広い道路はほとんど見られなかった。道路の多くが4車線だった。しかし、日本各地を回ったが、車のクラクションを聞くことは1度もなく、交通を取り締まる警察官もいなかった。後者はいくら考えても不思議に思う。
東京の街で最も寂しいと感じたのは色だった。建築物も、人が身に著けている服や物も、基本的に寒色系の色だった。以前に読んでいた日本のファッション雑誌から、日本の街には草間彌生のような派手で変わったおばさんが溢れていると思い込んでいた。何著か派手な色の服を持って來たが、東京に足を踏み入れた瞬間に失敗したと感じた。渋谷の街には、人は多かったが、ほとんどの人が髪型や帽子、タイツなどには個性が感じられたが、最も多く見られた色は、やはり黒や白、グレー、ベージュなど地味な色ばかり。ダイヤやスパンコールが付いた靴を履いている日本人は1人もいなかった。今も中國のオンラインショップ?淘寶網(wǎng)で大量に売られている日本の正規(guī)輸入品の傘が本物かどうかを疑っている。なぜなら、日本の街では、男性はビジネス仕様の黒い傘、女性は透明のビニール傘をさしており、時にグレーや、ベージュの傘をさしている人を見かけても、花柄や柄が入った傘をさしている人はいなかったからだ。我々が大阪城の日差しの中で、皆同じ派手な傘を持って歩いているあの感覚は…言わなくてもわかるはずだ。
■「事足りればいい」の哲學(xué)
北京から東京に向かう飛行機(jī)の中で、日本航空は1枚の紙ナプキンを配った。これが我々にとっての初めの授業(yè)となった。
このナプキンはお茶の葉を回収して作った紙ナプキンで、淡い緑色をしていて、ほのかな緑茶の香りが漂っていた。私と相席の人は共に感嘆した。相席の人は冷靜な様子で、「この紙ナプキンを作るには、通常のバージンパルプを作るよりも、コストは絶対により高くつくはず」と語った。日本の公共の場で置かれていたトイレットペーパーはすべてシングルで、包裝紙の上には、「これは再生紙です」と書かれていた。私はといえば、國內(nèi)でスーパーに行くと必ずまっすぐにバージンパルプのティッシュ売り場に向かっていた。
數(shù)日間で、見學(xué)したいずれの政府機(jī)関や新聞社でも胸章が渡された。非常に薄い紙に資料がプリントされ、透明のプラスチック製のケースに入れてあった。見學(xué)し終わると、胸章は必ず回収される。このプラスチック製のケースは、こうして何度も繰り返し使用される。
日本に著いたばかりの數(shù)日間は、毎日食べ足りなかった。高級中國レストランで開催された宴會に參加したが、味はさて置き、目の前の皿の料理がすっかりなくなっても、従業(yè)員は2つ目の皿をなかなか持ってこない。日本式の火鍋に行くと、6人掛けのテーブルの上に載っているのは、一皿の肉と野菜だけで、殘りはうどんのしゃぶしゃぶだった。
日本ではゴミ箱を捨てるのも、一つの蕓術(shù)的な行為となる。日本の街には基本的にゴミ箱は置いていない。ミネラルウォーターのペットボトルを捨てるにも、指定の回収箱に入れなければならない。しかも蓋は別のゴミに分け、ボトルの包裝紙もまた別に捨てる。日本で數(shù)日間滯在すると、我々もゴミをホテルに持ち返り、従業(yè)員に我々が捨てたゴミを再度分類して処理をしてもらうことに慣れてしまった。
ここまで書いた內(nèi)容に、愚癡の意味はまったく込めていない。その逆で、このような「事足りればいい」という生活スタイルに深く胸を打たれた。資源が比較的乏しい國で、人類がいかに資源を大切にし、資源を最大限、再利用しようとしているのを見ることができた。実際、いずれの國にとっても、地球はひとつだけしかないものだ。もし、日本のように環(huán)境に優(yōu)しく省エネであれば、環(huán)境はもっと良くなることだろう。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/MZ?編集/武藤)
この記事のコメントを見る
日本僑報(bào)社
2015/4/24
Record China
2015/4/23
2015/4/22
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問い合わせ
Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら
業(yè)務(wù)提攜
Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら
この記事のコメントを見る