「20年前、私は日本に不法滯在していた」=中國(guó)人がネットで語(yǔ)った日本での最大の敵とは?

Record China    2015年7月3日(金) 21時(shí)23分

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3日、中國(guó)ネット上にこのほど、「20年前、私は日本に不法滯在していた」と題したスレッドが立ち、日本での體験談をつづっている。寫(xiě)真は富士山。

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2015年7月3日、中國(guó)ネット上にこのほど、「20年前、私は日本に不法滯在していた」と題したスレッドが立ち、日本での體験談をつづっている。

その他の寫(xiě)真

私は中國(guó)の東北地方に生まれ、もうすぐ50歳になる。90年代に研修生として長(zhǎng)野県に渡った後、數(shù)カ月後に橫浜で不法滯在者として生活を始めた。家庭の事情で、2年間滯在した後に帰國(guó)した。

當(dāng)時(shí)は今のようにアプリを使って國(guó)際電話を無(wú)料で利用することはできなかったため、テレホンカードをよく利用した。一度イラン人から大量に偽造されたテレホンカードを買(mǎi)った時(shí)には警察に捕まりそうになり、全力疾走で逃げたことがある。逃げ切った後に、イラン人にだまされたのではと急いで公衆(zhòng)電話で確認(rèn)したが、幸いにもちゃんと使える偽造テレホンカードでほっとした。

私は建設(shè)関係の仕事についていたが、仕事がいくらきつくても耐えられた。私にとって日本での最大の敵は「寂しさ」で、その寂しさを紛らわすために、天気のよい日は遠(yuǎn)くに見(jiàn)える富士山をよく眺めていた。

ネットが発達(dá)した今であれば日本に関する情報(bào)は簡(jiǎn)単に手に入るが、當(dāng)時(shí)はまだパソコンがそこまで普及しておらず、私が知る日本は中國(guó)の新聞の中の日本だった。日本に憎しみを持って渡ったが、その感情は徐々に変化し、ついには日本を好きになっていた。清潔で靜かな日本、シンプルで平和な日本が好きになったのだ。(翻訳?編集/內(nèi)山)

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