Record China 2015年7月30日(木) 21時10分
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30日、第2次世界大戦時の中國労働者強(qiáng)制徴用問題をめぐって 、日本の三菱と中國被害者団體の和解協(xié)議が成立し、三菱が基金を設(shè)立して被害者1人ごとに10萬元(約200萬円)を支払うことで合意したとこのほど報道された。寫真は韓建平氏。
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2015年7月30日、済南時報によると、第2次世界大戦時の中國労働者強(qiáng)制徴用問題をめぐって 、日本の三菱と中國被害者団體の和解協(xié)議が成立し、三菱が基金を設(shè)立して被害者1人ごとに10萬元(約200萬円)を支払うことで合意したと25日に報道された。しかし、山東省済南市に住む韓建平(ハン?ジエンピン)さんはほっと胸をなでおろすことはできずにいる。
【その他の寫真】
日本強(qiáng)制連行中國人労働者山東聯(lián)誼會の副會長兼秘書長の韓さんは、第2次世界大戦中、日本に強(qiáng)制連行された中國人労働者の訴訟をサポートしてきた努力が実りそうだと希望を抱いている。1994年から今に至るまでの20年間、韓さんは、山東省の強(qiáng)制労働者の狀況や口述、関連の物証などを収集してきた。そんな韓さんは、「三菱が誠意ある謝罪や賠償を行わなかった場合、山東省高級人民法院(高裁)で訴訟を起こせるよう、書類を準(zhǔn)備しておく」と語っている。
▼父親を日本に強(qiáng)制連行された
27日、筆者は韓さんを訪ねた。1994年から第2次世界大戦中、日本に強(qiáng)制連行された中國人労働者を探し始めた韓さんが、20年間、その努力を続けられたのは、父親の韓瑞華(ハン?ルイホア)さんもその強(qiáng)制労働者だったからだ。「父親は當(dāng)時のことを語ろうとはしなかった。それでも、迫害の深さが側(cè)面的に伝わってきた。迫害は、身體的なものだけでなく、精神的なものでもあった。父親が當(dāng)時受けた苦しみは、私が長年中國人強(qiáng)制労働者を探し続ける精神的な原動力」と韓さんは語る。
▼元労働者を探して山東省を20年
中國人民抗日戦爭記念館が2014年、日本に強(qiáng)制連行された中國人労働者3萬4282人のリストを公表した。うち、山東省の人が、全體の4分の1を占める9177人いた。中國全土で2番目に多い數(shù)だ。うち、約600人が済南市だ。リスト公表後、韓さんは時間ができると、山東省の元強(qiáng)制労働者やその家族を探し、山東省全域を巡った。
10年前、韓さんは、日本の関連機(jī)関が1970年代に作成した「連行した中國人の名簿」を入手した。その名簿によると、當(dāng)時、強(qiáng)制連行された中國人の多くが19-40歳だった?!?943年に連行された時、最も若かった19歳の人でも、今は91歳になっている」。
▼誠意ある謝罪を待つと同時に訴訟の準(zhǔn)備
韓さんによると、「現(xiàn)在、済南市で生存している元強(qiáng)制労働者はわずか4人。その4人は、平陽県や章丘市などに住んでいる。4人は生きた歴史、証人、強(qiáng)制労働問題の有力な証拠」だ。
三菱マテリアルが謝罪と賠償を行うことで同意したという、日本メディアの報道について、韓さんは、「基金を設(shè)立して10萬元(約200萬円)を支払うというのは、誠意に欠ける。今年は中國人民抗日戦爭勝利70周年。私達(dá)は日本が歴史と向き合い、自ら進(jìn)んで謝罪や賠償を行うのを待っている。また、いつでも三菱を訴えられるように準(zhǔn)備もしている」と語った。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳/KN?編集/武藤)
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