ソウルの地名の3分の1がいまだ日本式、改名進まず=韓國ネット「日本から謝罪されない理由が分かった」「日本にある百済の名殘の方が多い」

Record China    2015年8月4日(火) 7時13分

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3日、韓國?ソウルには、日本統(tǒng)治時代に改名されたり命名されたりした日本式の地名が數(shù)多く殘り、地名変更の動きもあると韓國メディアが伝えた。寫真はソウル鍾路區(qū)。

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2015年8月3日、韓國?國民日報によると、韓國?ソウルには、36年間の日本統(tǒng)治時代に改名されたり命名されたりした日本式の地名が數(shù)多く殘っている。

その他の寫真

ソウル中心部にある王宮?昌慶宮に隣接する鍾路區(qū)苑南洞は、もともと巡邏(スンラ)洞といった。1911年に日本が昌慶宮を昌慶苑へ格下げして動物園としたことから、「昌慶苑の南」を意味する地名に変わった。ソウル江南區(qū)、現(xiàn)在はショッピング通りとして知られるカロスキルなどがある新沙洞も、1914年、「新たな砂地」を意味して日本式に作られた名前だ。専門家によると、こうした地名はソウルの3分の1、鍾路區(qū)の3分の2に上る。

2003年、ソウル市を中心に苑南洞を巡邏洞に戻そうとの動きが起こったが、苑南洞の語源について學者の意見が分かれ、住民らが慣れ親しんだ地名を殘したいと望んだことから、変更は成らなかった。ソウル市史編纂委員會の関係者は、日本式の地名変更は進められているものの、「地域にさまざまな意見があり、地名の由來に複數(shù)の説があることから、変更は簡単ではない」と語っている。

これについて、韓國のネットユーザーからはさまざまなコメントが寄せられている。

「韓國は解放後のボタンを掛け違えたようだ」

「韓國がなぜ日本から謝罪をしてもらえないのか分かった。日本の悪口を言いながら、日本の名殘が70年たってもあちこちに殘っているんだ」

「法律で決めない限り、変わらないだろう」

「それなら、日本植民地時代以前にモンゴルの影響を受けた物も、中國の影響を受けた漢字の地名もみんななくすのか?やり過ぎだよ」

「韓國の記者たちは、自分では日本語を一番使っているくせに、こういう記事を書く資格はあるのか?『サツ回り』とか何とか…」

「日本に侵略されたことも、歴史の一部だ。既に定著した物まで無理やり変えようとするのは、ちょっと強引だと思う」

「それを言うなら、日本にある百済の名殘の方がはるかに多いし、歴史も長い」

「地名が日本式だろうと米國式だろうと、何が違う?使いやすく分かりやすければいいじゃないか。名前のために稅金を無駄遣いするな」(翻訳?編集/和氣)

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