元慰安婦が聲を上げる91年まで、動(dòng)かなかった韓國政府=韓國ネット「この國には過去も今もあきれる」「知らんぷりしている日本と変わらない」

Record China    2015年8月14日(金) 20時(shí)49分

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14日、韓國?中央日報(bào)は、韓國人元慰安婦らの戦後の苦しい生活を描くとともに、慰安婦自身の最初の告白があった1991年まで、韓國政府が問題に対応して來なかったことを報(bào)じた。寫真はソウルの慰安婦像。

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2015年8月14日、韓國?中央日報(bào)は、韓國人元慰安婦らの戦後の苦しい生活を描くとともに、慰安婦自身の最初の告白があった1991年まで、韓國政府が問題に対応して來なかったことを報(bào)じた。

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1945年、終戦で國は解放されたものの、シンガポールや臺(tái)灣、中國など故郷から遠(yuǎn)く離れた地に連行されていた韓國人慰安婦の多くは、経済的な問題や慰安婦であったという恥ずかしさから、故郷に戻れなかったという。かろうじて帰國しても幸せな結(jié)婚はできず、家族や親戚にも疎んじられるつらい生活が続いた。

韓國政府による援助は期待できず、65年の日韓協(xié)定で日本から受けた資金は、大半が経済開発に使われた。韓國で慰安婦問題が関心を集めたのは、80年代、挺身隊(duì)問題対策協(xié)議會(huì)などの団體が活動(dòng)を始めてからという。被害事実が當(dāng)事者から最初に公表されたのは91年、金學(xué)順(キム?ハクスン)さんの証言だった。こうした動(dòng)きを受け、韓國政府は93年、ようやく特別法を制定し、元慰安婦らの支援に本格的に乗り出したのだ。

これについて、韓國のネットユーザーからは次のようなコメントが寄せられている。

「祖國のために犠牲になった方に対して、どうしてここまで面倒を見ようとしないのか?」

「韓國には過去も今もあきれるばかり」

「本當(dāng)にごめんなさい」

「政府が國民のために何かしてくれたことなんて、今まで一度でもあったか?」

「韓國は自國民の保護(hù)が実にいいかげん」

「私たちもあの時(shí)代に生まれていたらこういう目に遭っただろうに、あまりに関心を持たずに生きてきてしまった」

「家族や親戚は苦痛を分け合うのではなく、自分たちの體面が重要なのか。國と家族に捨てられ、どこにも居場所がなかっただろう」

「8月15日が近くならないと振り返ろうともしない社會(huì)」

「僕たちが支えるべきなのに、知らんぷりしている日本と変わらない。韓國の恥ではなく傷なのに」

「何もできない自分自身が恥ずかしい」(翻訳?編集/和氣)

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