「コニチワ、チュゴクジン…」=母の奇妙な日本語―中國人學(xué)生

日本僑報社    2015年9月17日(木) 11時55分

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中國人が日本語を?qū)Wび始めるきっかけは、多くが大學(xué)の日本語科に入學(xué)したことや、日本のアニメや文化が好きだからというものだが、集美大學(xué)の廖さんのように、ひょんなことから日本語を?qū)Wび始める人もいるようだ。寫真は日本語教室の看板。

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中國人が日本語を?qū)Wび始めるきっかけは、多くが大學(xué)の日本語科に入學(xué)したことや、日本のアニメや文化が好きだからというものだが、集美大學(xué)の廖孟[女亭]さんのように、ひょんなことから日本語を?qū)Wび始める人もいるようだ。

その他の寫真

ある日のことです。母がビスケットの包裝紙に見慣れない文字を見つけました。その文字は母にとって、そして私にとっても、何かの記號のように不思議なものでした。実は、そんな小さなことが、母が、そして私さえもが日本語を?qū)Wぶことになるという、新しい世界への扉だったのです。

母はさっそく、その包裝紙を持って先生のところに行きました。家に帰って來た時はもう、奇妙な発音で、耳慣れない言葉をいくつか繰り返していました。「コニチワ、チュゴクジン、コニチワ、チュゴクジン」。母の奇妙な発音練習(xí)は、それから毎日続きました。宿題に追われていた私は、やがて母のその発音に我慢できなくなり、ある日ついに、「お母さん、もうやめて!その変な発音には耐えられないわ」と大聲を出しました?!袱铯盲郡铩工却黏à毪猡韦?、母はまたすぐに練習(xí)を続けます。「これはね、日本語という言葉よ。李さんから教えてもらったの」。母は少し得意げに私に言いました。それを聞いて、私も好奇心が生まれました?!袱丞`、日本語?ふーん、面白いわね、字の形も発音も」「そうでしょう!じゃ、一緒に読んでみようか?」。

こうして、ついには私までも「コニチワ」「ワタシイ ウワ チュゴク ジン デスン」と、奇妙な発音を繰り返すことになりました。今思えば、母と私の発音はきれいとはとても言えませんでしたが、初めて日本語という外國語に觸れた母は、普段の母とは違って見えたものです。

やがて、私は大學(xué)で日本語を?qū)熼Tに學(xué)ぶことになりました。初めの頃は大學(xué)生活にも慣れなくて、毎日のように電話で母に愚癡を言いました。そんな時、母は「日本語の勉強は少し忙しいだろうけど、コツコツ努力すればきっと報われるよ」と勵ましてくれ、「ほらね。ちょっと聞いて」と新しく覚えた日本語を話します。が、その発音は相変わらずで、あの頃のままです。考えてみると、母が偶然に日本語と出會って、私に日本語の第1課を教えてくれたのでした。そして私もまた、偶然に大學(xué)の日本語科に入り、文化など日本についての知識も増えました。こうして2つの偶然が重なったとはいえ、日本語という言葉が母と私の間に太い橋をかけてくれたのではないかと思えるのです。

こんな母と私のように、中國人と日本の人たちの間にも、私は日本語という言葉で、太い橋をかけることができると思うのです。それは、日本語の學(xué)習(xí)を通して、今自分が知っている真実の日本の姿を中國人に伝える一方、中國のことも日本の人々にわかってもらう、という架け橋です。海で隔たれた所に橋を架ける。そして、人と人が、手と手をつなぐ。言葉はそんなことを可能にする不思議な、そして強い力を持っていると思います。日本語の勉強は困難も多いでしょう。でも、私には魔法の言葉があります。初めて耳にした母の日本語「コニチワ」「ワタシイ ウワ チュゴク ジン デスン」。その奇妙な発音を思うと、なんとなく勇気がわいてくるのです。(編集/北田

※本文は、第三回中國人の日本語作文コンクール受賞作品集「國という枠を越えて」(段躍中編、日本僑報社、2007年)より、廖孟[女亭]さん(集美大學(xué))の作品「母の日本語」を編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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