Record China 2015年9月30日(水) 12時(shí)12分
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28日、英紙コラムで、「中國(guó)は英國(guó)の教師ができるようになった」と題した記事が掲載された。寫真は中國(guó)の高速鉄道。
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2015年9月28日、英紙コラムで、「中國(guó)はかつての教師に教えを授けられるようになった」と題した記事が掲載された。環(huán)球時(shí)報(bào)が伝えた。
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英國(guó)のオズボーン財(cái)相が訪中した際に、中國(guó)に高速鉄道プロジェクトでの支援を求めた。それより前には、英國(guó)での原子力発電所建設(shè)でも支援を求めている。筆者はこれに幾分かの困惑を覚える。
30年前の1985年、筆者は政府の援助プロジェクト実施のために中國(guó)を訪れ、北京、上海、広州、そして農(nóng)村地域を歴訪した。北京は自転車に乗る人で埋め盡くされ、誰もが青い人民服を著ていた。英語(yǔ)を話せる人はほとんどいなかった。中國(guó)の大學(xué)は技術(shù)と科學(xué)知識(shí)を必要としていた。我々は中國(guó)側(cè)と中規(guī)模の奨學(xué)金プロジェクトを立ち上げ、大學(xué)の卒業(yè)生を選抜して英國(guó)に派遣し、理工科の修士、博士を?qū)Wばせた。
1年後、筆者は英中友好奨學(xué)金計(jì)畫のスタッフとなった。これは10年間のプロジェクトで、毎年優(yōu)秀な中國(guó)人(ほとんどが理工科の大學(xué)卒業(yè)生)が奨學(xué)金を手にして英國(guó)で學(xué)び、博士の學(xué)位を取得した。このプロジェクトは英國(guó)の援助を利用したもので最も成功したものの一つだと言えるだろう。
では、筆者はなぜ困惑を覚えたのだろうか。30年前、目の前に広がっていたのは、広大だが貧しい國(guó)で、人々は援助と専門知識(shí)を求めていた。今、たった1世代で、我々が中國(guó)に高速鉄道の技術(shù)を求めるようになったのだ。かつて、インド、シリア、南アフリカなどの國(guó)に鉄道技術(shù)を提供する側(cè)だった我々が、中國(guó)に原発建設(shè)を求めるようになってしまったのだ。いったい問題はどこにあるのだろうか。
答えは一つではない。我々は怠けていたわけではない。歴代の政府は金を金融サービスに投じ、銀行の好き放題を許し、投資家が誰も住まないロンドンの豪邸に投資することを許してきた。だが、それが科學(xué)研究に全力を盡くさない口実になるだろうか。中國(guó)は真剣に研究とイノベーションに取り組み、1世代で豊かになってみせた。この國(guó)に、我々が學(xué)ぶものは何もないといえるだろうか。(翻訳?編集/岡本悠馬)
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