日本製の腕時(shí)計(jì)を褒め稱えた祖母、その気持ちが今はわかるようになった―中國人學(xué)生

日本僑報(bào)社    2015年12月1日(火) 17時(shí)7分

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中國で「日本製」と言えば高品質(zhì)の代名詞だ。山西大學(xué)の許嬌蛟さんは、自身の日本製品に対する思いを、作文につづっている。資料寫真。

現(xiàn)在、世界のさまざまな企業(yè)が最先端の技術(shù)やデザイン、多機(jī)能な製品を競うように生み出しているが、真に消費(fèi)者の信頼を勝ち取るにはやはり品質(zhì)が重要である。中國で「日本製」と言えば高品質(zhì)の代名詞だ。山西大學(xué)の許嬌蛟さんは、自身の日本製品に対する思いを、作文に次のようにつづっている。

私の記憶の中で、初めて見た日本製品は祖母の腕時(shí)計(jì)である。それは27年前に祖父が銀婚記念品として祖母にプレゼントしたものであった。小さくて、丸い文字盤の上に記してある數(shù)字はいまでも夜になると光を発し、いつでもはっきり見える。ベルトは金屬製で本當(dāng)に丈夫な腕時(shí)計(jì)である。その文字盤の裏に、「オリエント」というブランド名と防水などの表示が刻まれている。

27年前のものなのに、機(jī)械としての機(jī)能に少しの故障も見られない。祖母はいつも誇るような口ぶりで「さすが日本の製品。品質(zhì)から見れば、今の(中國の)ものは比べ物にならないね」と言って、その腕時(shí)計(jì)の品質(zhì)の高さを褒め稱えた。けれども、子供の時(shí)は、祖母のその気持ちは理解できなかった。祖母の腕時(shí)計(jì)は時(shí)代後れなものだと思ったから。しかし、時(shí)間が経つに従って、だんだん祖母の気持ちが分かるようになった。

祖父と祖母が結(jié)婚したころは、世の中はまだそれほど豊かではなかった。特に當(dāng)時(shí)彼らの生活していたところは、山に囲まれた小さな村で、祖父は祖母に交際期間中、何一つ高いプレゼントを贈(zèng)ったことはなかった。80年代に入ると、人々の生活にだんだんゆとりが出てきたが、腕時(shí)計(jì)のようなものはやはり贅沢なものだと思われていた。だが、祖父は一人歯を食いしばって、半年間かけて少しずつ貯金をし、その頃大変流行していた「オリエント腕時(shí)計(jì)」を手に入れた。その日、祖父は店でその腕時(shí)計(jì)を買った後、飛ぶように家に帰って、祖母に手渡した。祖母は驚くと同時(shí)に、喜びが込み上げ、つい涙ぐんだそうだ。その腕時(shí)計(jì)は二人にとって、非常に大きな意義を持っているものだ。

今、祖父と祖母は金婚式も祝ったが、その腕時(shí)計(jì)は品質(zhì)のおかげで、こんなに長い時(shí)間、一度も修理されたことはない。その腕時(shí)計(jì)は祖母と祖父の結(jié)婚生活の証という意味を持つだけでなく、祖母の生活に溶け込んでいたと思う。今の日本製品は良い品質(zhì)のほかに、デザインや先進(jìn)的な技術(shù)、さまざまな機(jī)能などの開発分野にずいぶん力を入れている。だが、時(shí)間がたつにつれて、モダンなものも流行遅れになり、さまざまな機(jī)能が付いている新製品もいつかは飽きられるようになってしまう。その時(shí)、人々の記憶に殘るのは使い慣れ、感觸が手にしみ込んでいる道具だけであろう。ブランドの本當(dāng)の価値は人々の生活に溶け込めて、最後には人々の生活の一部になれるところにあるのではないか。良い品質(zhì)を持っている日本製品は、美しい記憶の源でもあるのだ。(編集/北田

※本文は、第六回中國人の日本語作文コンクール受賞作品集「メイドインジャパンと中國人の生活」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2010年)より、許嬌蛟さん(山西大學(xué))の作品「祖母の腕時(shí)計(jì)」を編集したものです。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

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