Record China 2015年12月3日(木) 17時(shí)40分
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1日、中國のSNS上に「日本でもかつて世界を震撼させるスモッグが広がっていた」と題する文章が投稿された。寫真は中國の大気汚染。
2015年12月1日、中國のSNS微信(WeChat)上に、「日本でもかつて世界を震撼させるスモッグが広がっていた」と題する文章が投稿された。
文章は、工業(yè)化前期の日本では、現(xiàn)在の中國と同様に大気汚染が深刻だったとし、「世界を震撼させた四日市ぜんそくは、1972年までに6376の患者を出し、11人が命を落とした」と紹介した。四日市ぜんそくは三重県四日市市のコンビナートから発生した大気汚染による公害病で、1960?1972年に問題となった。
文章は続いて、「當(dāng)時(shí)の日本政府は大気汚染の固定発生源である工場に対して、煙突に脫硫裝置を設(shè)置。1962?68年にばい煙規(guī)制法、公害対策基本法、大気汚染防止法を定めるなど、法整備を進(jìn)めた。當(dāng)初は、工業(yè)や自動車製造業(yè)などの抵抗を受け、當(dāng)初は順調(diào)には行かなかったが、徐々に法規(guī)制を強(qiáng)化するなど、7?80年代にかけて日本政府は環(huán)境問題を重視していった」と日本がどのように対処してきたのかを紹介している。
また、「政府による立法のほか、長きにわたる公害訴訟によって民間でも環(huán)境意識が高まった。汚染問題を解決する過程で、環(huán)境に優(yōu)しい製品を使うという消費(fèi)理念が形成され、政府だけでなく市場がそれを求めるようになった。消費(fèi)者が環(huán)境問題を重視し、企業(yè)が環(huán)境保護(hù)に力を入れるようになるという良好なサイクルが生まれた」と指摘。さらに、「その後も、技術(shù)と制度の両面から、大気汚染対策を行ってきた。日本は數(shù)十年の努力で大気汚染に対抗する社會を形成してきた」などと紹介している。
文章は最後に、「政府が力を入れ、みんなが心を一つにすれば、青空と白い雲(yún)を手に入れられる日も遠(yuǎn)くない。安全に生活したければ、聲をあげよう」と呼びかけている。
これに対して、ネットユーザーからは、「國民は無関心で、政府は無視してるから仕方ない」「先人が地雷を踏むのを見ていながら、あえてそれを踏みに行く。ばかじゃないのか」「四日市は日本の小さな町。中國のスモッグとはレベルが違う」「素晴らしい文章だ。私が一番心配しているのは、國民がいつも『われわれの抵抗力は強(qiáng)いんだ』と言っていること」「スモッグは現(xiàn)代化する際に必ず通る道。日本は數(shù)十年かけて処理した。GDPだけを比べていてはいけない」「賢い國は改善の機(jī)會を探し続け、愚かな國は解決しない理由を探し続ける」といったコメントが寄せられている。(翻訳?編集/北田)
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