Record China 2007年11月5日(月) 21時(shí)55分
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武術(shù)で有名な仏教寺院、少林寺。安陽(yáng)師範(fàn)學(xué)院の教授が20年に渡る研究の結(jié)果、「少林武術(shù)のルーツは安陽(yáng)市、有名な達(dá)磨大師は無(wú)関係」と発表。
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2007年11月5日、安陽(yáng)師範(fàn)學(xué)院の馬愛(ài)民(マー?アイミン)教授が20年に渡って河南、河北の多くの地域で集めた大量の資料、碑文などに基づいて行ってきた研究を発表し、「少林武術(shù)のルーツは安陽(yáng)、達(dá)磨大師は無(wú)関係」と結(jié)論付けた。
【その他の寫(xiě)真】
少林武術(shù)のルーツに関しては様々な説がある。最も有名なのは、インド人僧侶達(dá)磨大師と結(jié)び付けられているもの。しかし、馬教授によれば、達(dá)磨大師は仏教學(xué)の高僧で、武術(shù)僧ではない。また馬教授の調(diào)査で、達(dá)磨大師がこの地區(qū)を訪(fǎng)れたとき、少林寺はまだ建立されていなかったことがわかった。これらのことから馬教授は、達(dá)磨大師と少林武術(shù)は無(wú)関係であると結(jié)論したという。
さらに、馬教授によると、少林寺に武術(shù)を伝えたのは稠禪師という河南省安陽(yáng)市出身の僧侶である。稠禪師は33歳で少林寺に來(lái)て、初代方丈から仏法を?qū)Wび、2代目の方丈となる。もともと武術(shù)に優(yōu)れていた彼は、この時(shí)から武術(shù)を積極的に新しい弟子たちに伝えていくようになったのだという。河南省少林寺実業(yè)有限公司の銭大梁(チエン?ダーリャン)総経理も、「少林寺のルーツを安陽(yáng)市とする説は數(shù)年前からある」と話(huà)している。(翻訳?編集/BA)
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