Record China 2016年3月6日(日) 11時(shí)50分
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4日、本心を言えば、再び日本に旅行に行くつもりはなかったのだが、友人の再三の誘いで、よりにもよって春節(jié)の時(shí)期に再び日本を訪れることになった。撮影:邱文雄。
2016年3月4日、本心を言えば、再び日本に旅行に行くつもりはなかったのだが、友人の再三の誘いで、よりにもよって春節(jié)(舊正月、今年は2月8日)の時(shí)期に再び日本を訪れることになった。日本に対する思いは初めての旅行に比べ、さらに心に深く感じるところがあったと言える。おそらく多くの人が同じ思いだと思うが、訪れるまで、この國(guó)に対していささかの思うところがあった。しかしどんな思いがあろうと、「ニホン」という國(guó)に行ったことがある人や見(jiàn)聞きしたことがある人はみな彼の國(guó)を手放しで譽(yù)めるのだ。(文:劉暢[リウ?チャン]西安晩報(bào)掲載)
日本では交通機(jī)関にしても、建物にしても決して見(jiàn)かけは華やかではない。しかしどこに行ってもほとんどごみを見(jiàn)ることが無(wú)く、都市全體がピカピカで清潔だ。日本の小學(xué)生が橫斷歩道を渡った後に、車に向かってお辭儀して感謝するのを見(jiàn)たことがあるだろうか?お互いにかわす禮儀正しい挨拶を目にしたことがあるだろうか?日本ではたとえ心の中でどう思っていても、禮を失することはない。これは日本の國(guó)民教育に大きな関係があるだろう。
大阪に滯在した2日間はそれらを感じることは全くなかった。にぎやかさと熱狂に満ちた夕べはただひたすらきらびやかで、この都市に興味深い色彩を色濃く與えている。一方で素樸な古都?奈良ではまるで鹿と寺の絵巻の中に身を置くような気分にさせられた。美しい景色を眺めながら、時(shí)々何頭かの小鹿が目の前を橫切り、挨拶してくれる。そして木造建築のお寺が目の前に現(xiàn)れた瞬間、遠(yuǎn)くから眺めただけでも畏敬の念を抱いた。島國(guó)であることも関係しているだろうが、悠久な歴史をもつお寺の境內(nèi)は修復(fù)を重ねても當(dāng)時(shí)の面影を保ち続け、ますますその歴史の長(zhǎng)さを體現(xiàn)させている。ほかの都市と異なり、京都には高層ビルが少なく、にぎやかさも少なく、また発達(dá)した交通機(jī)関も少ないが、秩序に満ちており、笑顔とお辭儀もずっと自然な感じがする。あまねく土地で島國(guó)の人々の素養(yǎng)と優(yōu)れた環(huán)境保全に対する態(tài)度を見(jiàn)ることができるのだ。
2回目の日本でも、この地の食べ物への欲求は盡きなかった。デパートだろうと、大きな通りや裏通りであろうと、どんなレストランでも、みな個(gè)性に溢れている。日本では食べ物の新鮮度を気にする必要などないし、ましてその味を心配する必要など全くない。あちこちで見(jiàn)られる和食は旬のものを意識(shí)し、味は素晴らしく、さらにそれぞれの匠の技が光っている。細(xì)やかな作りと、量は少ないもののその質(zhì)は高く、色彩の組み合わせと盛り合わせの蕓術(shù)を極めている。
また日本人は食事の上でのこだわりも多く、食器類も大変美しい。食事は単にお腹を満足させるだけでなく、一種の蕓術(shù)品を愛(ài)でるように、美しさを享受することができるのだ。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?翻訳/TG?編集/武藤)
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