<東日本大震災(zāi)から5年> “福島の花”を撮り続け、「花の力」で被災(zāi)者を元気にしたい=『ニコン?グランプリ』日本人初受賞寫真家

八牧浩行    2016年3月8日(火) 3時40分

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600種類を超える「福島の花」を撮影し続けている福島県郡山市の寫真家、野口勝宏さんが日本記者クラブで寫真展を開き、心情を語った。寫真は寫真展。

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東日本大震災(zāi)から5年。600種類を超える「福島の花」を撮影し続けている福島県郡山市の寫真家、野口勝宏さんが日本記者クラブで寫真展を開き、心情を語った。野口さんの寫真は口コミで広がり大震災(zāi)に遭遇した多くの人たちを癒し、生きる原動力になった?;顒婴斯缠Qしたボランティアらの手で、これまで郡山市の百貨店をはじめ福島県內(nèi)外で多くの寫真展が開催され、外出が厳しく制限されていた子どもたちも、「福島の草花」の寫真シールに感動したという。

その他の寫真

一連の寫真は、「第35回Nikon Photo Contest 2014-2015」で日本人初のグランプリを受賞。今年5月からは、全日空の國內(nèi)線の機體に野口さんの寫真をデザインした「東北フラワー?ジェット」が福島―大阪間をはじめ全國各地の空を飛ぶ予定だ。発言要旨は次の通り。

 

2011年5月、當(dāng)時1000人以上が避難していた郡山市の「ビッグパレットふくしま」に行き、県職員から後世に記録するために、依頼された寫真を撮影しようとした。しかし避難所の方々は、2か月経ってもプライバシーのない生活を余儀なくされていた。精神的にぎりぎりの狀況にいる人たちに、カメラを持って行くだけで拒絶されるような狀態(tài)だった。「撮らないで下さい」と言われ、レンズを向けることができなかった。

 

郡山市の自宅兼スタジオの壁に30?40センチの大きな穴が開き、雨漏りに悩まされたりしたことで、震災(zāi)直後は私自身、心に余裕がなくなっていた、1週間ほどして知人が花を持ってきてくれた。その時気持ちが落ち著き、目頭が熱くなった。

ある日、避難所で皆さんが寢靜まった深夜に、手元をライトで照らして作業(yè)している人がいた?;à颔猊俩`フに段ボールでアート作品を作っていた?;à媳茈y所の皆さんに喜んでもらえ、花を飾ると皆さんが集まり、會話が始まるからだと言っていた。そこで私が感じたことは、心が弱っている時だからこそ美しい花は、本物でなくても心を動かすということだった。

そこで、近所の人からもらった生花をバケツ4つに入れて持っていくと、避難所の重々しい空気がぱっと華やいだ?!袱欷い驶à坤汀埂袱蓼砍证盲皮皮汀工胜嗓葧挙鈴帳?、次第に避難所の様子を?qū)懻妞藚Г幛椁欷毪郅?、交流が生まれていった?/p>

 

花を中心にすると、こんなにどんどん人の輪が広がっていき、花の美しさが響き、心を動かしたのだと思い、「花の力」を感じた。より多くの人の癒やしになればと、福島の花を撮影し、フェイスブックに投稿を始めた。原発事故が騒がれる中、福島の自然の美しさを伝えたいという思いもあった。

 

寫真は背景をなくし、花だけを切り抜く形にした。大震災(zāi)で多くを失った人に、それぞれの思い出で背景を埋めてほしいとの思いを込めた。自分が撮った花で、人をつないでいける。喜んでもらえることが原動力になっている。

言葉の壁、國や文化、立場の違いさえも飛び超えて共感しあえる花の歓びを、少しでも多くの方に感じて欲しいという思いにつき動かされて日々活動している。福島が美しい「花の島」であることを感じていただければ何よりも嬉しく思う?;à墙证蛎鳏毪?、「花の力」で人を元気にしたい。(八牧浩行

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務(wù)取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務(wù)めたほか、歐州、米國、アフリカ、中東、アジア諸國を取材。英國?サッチャー首相、中國?李鵬首相をはじめ多くの首脳と會見。東京都日中友好協(xié)會特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著?共著に「中國危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外國為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

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