Record China 2016年3月8日(火) 1時(shí)20分
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7日、モンゴル族の巴達(dá)(バー?ダー)さんは、農(nóng)村で生まれ育った青年だ。そして、専門學(xué)校を卒業(yè)して2002年の夏に上京。宅急便の配達(dá)員を始め、その時(shí)の月給が1000元(約1萬7000円)だった。
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2016年3月7日、モンゴル族の巴達(dá)(バー?ダー)さんは、農(nóng)村で生まれ育った青年だ。そして、専門學(xué)校を卒業(yè)して2002年の夏に上京。宅急便の配達(dá)員を始め、その時(shí)の月給が1000元(約1萬7000円)だった。それから14年が過ぎた今、巴さんは北京で日本料理店4軒、西洋風(fēng)喫茶店1軒のオーナーになり、マイホームを購入しただけでなく、きれいで頭が良く優(yōu)しい日本人の女性とも結(jié)婚した。北京や上海、広州、深センで一生懸命働く若者にとっては勵(lì)みとなるモデルケースとなっている。このほど、北京の魏公村にある日本料理店の本店「加藤屋」を取材し、巴さんにその奮闘のストーリーを聞いた。中國網(wǎng)が伝えた。
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店の外観はそれほど目立つものではないものの、店內(nèi)に入ると、日本風(fēng)の內(nèi)裝が施され、品があり落ち著く雰囲気となっていた。そこは、狹苦しくなく、リラックスできる日本の居酒屋のようだ。この店は開店から20年以上が経っており、飲食店が集まる魏公村でも、人気の店の一つだ。近くの北京外國語大學(xué)や中央民族大學(xué)の學(xué)生らだけでなく、社會(huì)に出て何年にもなるホワイトカラーも友人らとここに集まってくる。
巴さんは「専門學(xué)校を卒業(yè)してから、地元の畜牧當(dāng)局で公務(wù)員として働き、牧場(chǎng)で牛や羊を世話する機(jī)會(huì)もあった。でも、一生草原で牛や羊と暮らすのはいやだと思った。それで、多くの人にとってあこがれの北京に來た。02年初めに北京に來て、初めてした仕事が宅急便の配達(dá)員。雨の日も風(fēng)の日も配達(dá)をしていた」と話す。しかし、その生活に、巴さんが満足することはもちろんなかった。「半年以上たった時(shí)、いとこの紹介で『加藤屋』で働くようになった。その時(shí)は興奮して一晩眠れなかった」と巴さん。これをチャンスと見なし、朝から晩まで一生懸命働くと同時(shí)に、店長から経営や管理を教わった。そして、數(shù)年後、一定の貯金と経験を得た時(shí)に、オーナーの加藤さんが一身上の都合で日本へ帰らなければならなくなり、巴さんはいとこと共にこの店を買い取り、経営を始めた。
「當(dāng)?shù)辘狭餍肖辘蜃筏Δ韦扦悉胜?、教えてもらったおいしい料理を地道に作り、常連客を獲得するのが方針。例えば、當(dāng)?shù)辘韦工工崃侠恧稀汉褪渐去螗摹弧:?jiǎn)単に見えるかもしれないが、おいしいトンカツを作るのは決して簡(jiǎn)単なことではない。良い豚肉を選ぶことのほか、小麥粉や油の溫度、ソース、さらにはお米も、トンカツの口當(dāng)たりに影響する」と巴さん。さらに、客の反応を參考に、改良を続け、完璧なトンカツを目指しているという。
店を経営する上で最も大切なのは「心を込めることと専念すること」という巴さん。料理のクオリティの高さが認(rèn)められ、値段も手ごろであるため、常連客が増え、どんどん繁盛。規(guī)模が大きくなり、利益も増えたため、北京で4店舗抱えるようになり、さらに西洋式の居酒屋もオープンさせて、カレー料理やスイーツを提供している。
モンゴル族特有のさっぱりした人柄もあり、巴さんは多くの客と仲良くなった。それら友人には、中國人もいれば、日本人もいる。大學(xué)を卒業(yè)して北京以外の地で就職したにもかかわらず、大學(xué)生生活の「味」を思い出して頻繁に來店する人のほか、自分の會(huì)社のカレンダーなどを毎年くれる日本人客もいる。そのため、店の壁には、客たちの楽しい思い出がいっぱい詰まっている。
それだけでなく、巴さんはここで、生涯の伴侶も見付けた。名古屋出身のやさしくてかわいい日本人女性。偶然にも女性の名前は「加藤」であるため、この店の名前は妻に由來していると思う客も多いという。そんな加藤さんもこの店の常連客で、店に通ううちに巴さんと仲良くなった。巴さんは、「そのうち、二人で食事に出かけるようになった」と幸せいっぱいの笑みを浮かべる。
評(píng)判のレストランを経営すると言うのは、簡(jiǎn)単なことでは決してなく、初めは巴さんも苦労したという。店を引き継いだ時(shí)は、規(guī)模も小さく、客も少なかった??亭蚝簸愚zむため、巴さん夫婦は街で広告を配った。広告を受け取ってもすぐに捨てられてしまうことが多いため、巴さん夫婦はアメをたくさん買い、広告1枚1枚に付けた。すると、その小さな工夫が功を奏し、「加藤屋」の客は大幅に増加したという。
「僕は運(yùn)命を信じているが、運(yùn)命は変えられるものとも信じている」と巴さん。運(yùn)命だとあきらめるのではなく、地元での生活を捨て、上京したように、「努力し、自分のスタイルを見付ければ、誰でも自分の運(yùn)命をコントロールできる」と話す。
そして、「誰もが起業(yè)に向いているわけではない」としながらも、起業(yè)を目指す若者に、▽継続すること▽起業(yè)する分野を見極め、自分が好きで得意とする分野を選ぶこと▽心をこめてする。どうやってお金を儲(chǔ)けるかをまず考えるのではなく、お客さんをどのようにもてなすかをまず考え、サービスと商品のクオリティーを上げること、とアドバイスしている。
「今まで出會(huì)った日本人は、みんな時(shí)間を守り、仕事をまじめにこなす。これは、尊敬できる部分。日中関係の影響を受けたこともあるが、國と國の政治的関係が悪くなっても、民間交流は続けるべき」と続けた。(提供/人民網(wǎng)日本語版?翻訳KN?編集/武藤)
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