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「栄養(yǎng)失調(diào)で亡くなる子どもは年間590萬(wàn)人、アフリカなどの悲慘な実態(tài)を知ってほしい」―黒柳徹子ユニセフ親善大使、32カ國(guó)訪問(wèn)の體験を語(yǔ)る

八牧浩行    2016年3月27日(日) 8時(shí)10分

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24日、ユニセフ親善大使の黒柳 徹子さんが日本記者クラブで記者會(huì)見(jiàn)した。32年間にわたって、32カ國(guó)を訪問(wèn)、厳しい環(huán)境下にある子どもたちを勵(lì)まし、支援し続けた體験を披露?!甘澜绀巫婴嗓猡郡沥伪瘧Kな実情を知っていただきたい」と訴えた。

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2016年3月24日、國(guó)連児童基金(ユニセフ)親善大使の黒柳徹子さんが日本記者クラブで記者會(huì)見(jiàn)した。32年間にわたって、アフリカ、アジア、中東など32カ國(guó)を訪問(wèn)、厳しい環(huán)境下にある子どもたちを勵(lì)まし、支援し続けた體験を披露?!弗妤衰互沼H善大使として、世界の子どもたちの実情を知っていただきたい」と訴えた。

その他の寫真

黒柳さんは1984年、ユニセフ親善大使にアジア出身者として初めて就任し、アフリカ、アジア、中東などの途上國(guó)を毎年欠かさず訪問(wèn)、現(xiàn)在までの訪問(wèn)國(guó)數(shù)は32カ國(guó)に上る。黒柳さんがユニセフ親善大使に就任することになったきっかけは、當(dāng)時(shí)の國(guó)際協(xié)力機(jī)構(gòu)(JICA)理事長(zhǎng)の緒方貞子(元難民高等弁務(wù)官)が、ジェームス?グラント?ユニセフ事務(wù)局長(zhǎng)に、黒柳さんのベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』を読むよう薦めたこと。親善大使に任命された際、グラント局長(zhǎng)は「世界中で年間1400萬(wàn)人の子どもが、栄養(yǎng)失調(diào)で亡くなっているが、今世紀(jì)中に半分に減らしたい」と語(yǔ)っており、黒柳さんもこの熱い思いに共鳴したという。

これらの視察の模様は、報(bào)道番組や長(zhǎng)壽番組『徹子の部屋』などテレビのほか多くの新聞や雑誌など伝えられ、アフガニスタンやソマリアなど世界の開発途上國(guó)における子どもと母親を支援するための募金につながった。黒柳さんが32年間に集めた募金は約56億円。全額ユニセフに送られ、世界中の子どもたちの支援に充てられている。記者會(huì)見(jiàn)で黒柳さんはこの間のユニセフ親善大使としての活動(dòng)を次のように語(yǔ)った。

1984年にユニセフタンザニアを訪問(wèn)して以來(lái)、訪れたのはニジェール、モザンビーク、ベトナム、カンボジア、エチオピア、アフガニスタン、ザイール、マケドニア、ソマリアなど32カ國(guó)。いずれも戦爭(zhēng)、內(nèi)戦、旱ばつなどで経済社會(huì)が荒廃し、子どもたちが悲慘な目に遭っている國(guó)?地域ばかりだ。エイズ患者が300萬(wàn)人いるウガンダ、民族紛爭(zhēng)で100萬(wàn)人が殺されたルアンダ、多くの難民キャンプにも訪れた?!袱郡榔胶亭郅筏ぁ工趣いη袑gな聲も聞いた。

今年3月中旬に、2度目の訪問(wèn)となるネパールに行った。昨年5月に起きた大地震で60萬(wàn)戸が崩壊、多くの人がレンガの下敷きになって亡くなり、親を失った子どもたちも多い。孤児院では失明した6歳ぐらいの子の手を取るとたどたどしい英語(yǔ)で「I am happy」とだけ言った。あまりの純粋さにうたれ涙が出た。ネパールではインドに出稼ぎに行き、親がエイズに感染するケースも多い。

スマトラ島沖地震で津波被害に遭ったインドネシア?アチェもそうだったが、大災(zāi)害時(shí)に悲慘な目に遭うのは子どもたち。両親を亡くした子どもを狙った人身売買が橫行する。この行為を阻止するために、ユニセフは孤児となった子たちを保護(hù)する活動(dòng)を行っている。ネパール大地震でもユニセフの活動(dòng)により、多くの子どもたちが救われた。

2009年に初めてネパールに行ったとき、內(nèi)戦が10年も続いて國(guó)は疲弊して、貧困狀態(tài)だった。子どもの約半分が栄養(yǎng)失調(diào)で、労働していた子もいた。胸まで川の中に入って、砂利を背中に背負(fù)っている袋の中にズッシリ入れてもらって、ずっと登って運(yùn)んでいく子どもが多かった。15歳の少女がいたので家に行き、話を聴いた。母親がおらず、父親はインドに出稼ぎ中で、不幸な境遇だった?!负韦摔胜辘郡い巍工葘い亭郡椤笇?lái)デザイナーになりたい」。「がんばってね。日本でテレビの仕事をしているから、あなたの作った服を著て出るね」と約束して別れた。

あれから7年、22歳になった彼女が、會(huì)いに來(lái)て、民族衣裝のブラウスとスカートを作って手渡してくれた。思わず感激し、「『徹子の部屋』に著て出るね」と言った。7年前に「夢(mèng)に向かってがんばれ」と書いた私の色紙を額縁に入れて、洪水で流された時(shí)も話さず、持ち歩いていたという。子どもたちが希望を持って生きられるようにしてあげられたらいいと思う。

內(nèi)戦、干ばつ、民族同士の爭(zhēng)いで100萬(wàn)人が殺されるなど、困窮している國(guó)に行っているので、子ども達(dá)のギリギリの、生きるか死ぬかという狀態(tài)を見(jiàn)てきた。皆必死で、めげずに生きようとしている。子どもたちが希望を持って生きられるようにしてあげられたらいいと思っている。

ボスニア?ヘルツェゴビナへ行ったとき、危ない目に遭った。通りかかった小さな町で、我々が乗っていたバスが略?shī)Zされた。運(yùn)転手が拉致され、バスの中で3時(shí)間ほど待たされ、恐ろしい體験をした。解放されたが、結(jié)局バスを取られた。危険な場(chǎng)所に毎年行くのは、やっぱり、そこが子ども達(dá)が一番困っているところだから。私達(dá)は1週間くらいだけだが、そういうところに住んでる人は日常的に怖い目に遭ってる。

インドでは破傷風(fēng)の子どもにも會(huì)った。傷口から入る病気で、予防接種1本で助かるが、(薬がないと)體中の筋肉が硬直して、高熱が下がらない。死にかけていた10歳くらいの男の子が、目を開けて私を見(jiàn)たから、小さい聲でその子の耳元で、「あなたも頑張って生きようとしなくちゃだめなのよ」と小さい聲で言った。そうしたらその子が、喉の奧でウウーって何か言った??醋o(hù)婦さんに「この子、今なんて言ってるんですか」って聞いたら、今死にかけてるその子どもが、「『あなたのお幸せを祈っています』と言ってます」と説明してくれた。

死ぬ時(shí)でも自分が苦しいとも言わずに、あなたの幸せを祈っていますなんて、子どもは純粋なものなんだと思った。その時(shí)、こういう子どもがいる以上はずっと続けていこうと思った。

アフガニスタンに初めて行ったときは夏だった?2001年の「9?11」のちょうど1カ月前。夏の暑いとき行ったら50度ぐらい。それから冬の寒いときは零下25度にまでなる。だから難民キャンプの泥の上に座ってる子どもたちは寒くて死んでしまう。でも、アフガニスタンのユニセフは「一人も死なせません」と約束を守ってくれた。

32年前に私がユニセフ親善大使に任命された時(shí)は1年に1400萬(wàn)人子どもが栄養(yǎng)失調(diào)で死んでいたが、それが今590萬(wàn)人。良い薬ができたこともあるが、ユニセフをはじめ世界中の人が世界の子どものことを考えてくれているからだ。子どもが死ぬのが半分以下になったが、悲慘な狀況が続き、多くの子どもたちが死んでいく。もっとお役にたてればと思う。(八牧浩行

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時(shí)事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長(zhǎng)、常務(wù)取締役編集局長(zhǎng)等を歴任。この間、財(cái)界、大蔵省、日銀キャップを務(wù)めたほか、歐州、米國(guó)、アフリカ、中東、アジア諸國(guó)を取材。英國(guó)?サッチャー首相、中國(guó)?李鵬首相をはじめ多くの首脳と會(huì)見(jiàn)。東京都日中友好協(xié)會(huì)特任顧問(wèn)。時(shí)事総合研究所客員研究員。著?共著に「中國(guó)危機(jī)ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外國(guó)為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

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