八牧浩行 2016年5月28日(土) 4時0分
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ノーベル賞受賞者の大村智?北里大學(xué)特別栄譽教授が「私の歩んで來た道」と題して日本記者クラブで講演した?!柑魍いぁ股嚼姹hの農(nóng)村で野良仕事をしながら幼少時代を送り、自然やスキーに親しんだことがよい思い出になっている、と振り返った。
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2016年5月25日、ノーベル賞受賞者の大村智?北里大學(xué)特別栄譽教授が「私の歩んで來た道」と題して日本記者クラブで講演した?!柑魍いぁ股嚼姹hの農(nóng)村で野良仕事をしながら幼少時代を送り、自然やスキーに親しんだことがよい思い出になっている、と振り返った。大學(xué)卒業(yè)後、東京の工業(yè)高校定時制で教師をした際、油が付著している生徒の手を見て「中小町工場で晝間働き?手を洗う間もなく學(xué)校に來る、こんなにまで勉強したい人がいるのに自分は何をしているのだろう」と思い、研究者の道に入ることを決斷したと打ち明けた。また「研究に影響が出るような話はすべて斷わった。研究一筋で來たのがよかった」とも語った。
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同教授は寄生蟲が引き起こす難病の治療に役立つ微生物由來物質(zhì)「エバーメクチン」を発見。マラリア治療に有効な成分を発見した中國?屠ヨウヨウ氏らとともに、2015年にノーベル生理學(xué)?醫(yī)學(xué)賞を受賞した。講演要旨は次の通り。
豪農(nóng)でも貧農(nóng)でもない中農(nóng)の家に生まれ、母から勉強をするようにと言われたことは一度もなかった。幼年時代から陽が昇らない前に起こされて野良仕事をした。農(nóng)繁期は多忙だったが農(nóng)閑期にはスキーなどもできた。自然やスキーに親しんだことがよい思い出になっている。
野良仕事は重労働だったが、父がいろいろ欲しいものを買ってきてくれ幸福だった。「眺望は人を養(yǎng)う」といわれるが、美しい自然のなかで生まれ育ったと思う。中學(xué)の時にはいい先生に恵まれた。先生は農(nóng)繁期に學(xué)校を休んで野良仕事をしているところに來て、學(xué)校の勉強を教えてくれた。「村長になるにはこういうことをしなければいけないよ」と導(dǎo)いてくれた。
高校時代は3年間スキーに明けくれた。裏山に4時間ぐらいスキーで行って帰ってくる。
勉強はしなかったが、山梨大學(xué)に合格した。良く受かったと思う。山梨大の実験室は少しでも時間があればいつでも実験ができる、何でも実験できるマイスター制だった。スキーも続け山梨県內(nèi)で優(yōu)勝した。
夜叉神峠の地質(zhì)調(diào)査を擔(dān)當(dāng)された先生のアシスタントをした。後年溫泉を掘る伏線になった。何が役立つか分からない。先生からは大學(xué)は関係ない。大學(xué)を出てから5年間で勝負しなさいと言われ役に立った。試験で落ちたことはないが、成績は常に低空飛行だった。
大學(xué)卒業(yè)後、東京都立墨田工業(yè)高校定時制で教師をした。生徒の手をみたら油が付著している。中小町工場で働いて、手を洗う間もなく學(xué)校に來る。こんなにまで勉強したいという人たちがいるのに自分は何をしているのだろうと思い、東京教育大(現(xiàn)筑波大)に行ってノーベル賞級の優(yōu)れた先生の下で有機化合物の研究をした。大學(xué)院修士課程に行きたかったが都立高校職員が(在職のまま)國立大學(xué)に行くことができず、東京理科大大學(xué)院修士に入學(xué)した。
同大の先生から「論文は必ず英語で書きなさい。世界の多くの人が読んでくれないから」と指導(dǎo)された。下手な英語だったが、以降論文はすべて英語で書いた。晝間勉強して夜教える生活だった?!负问陇庹┨谩─趣浃辘胜丹ぁ工妊预铯欷郡长趣庖郅肆ⅳ盲皮い?。
その後1965年に北里研究所に入所。1971年に北里研究所から米國のウエスレーヤン大學(xué)に留學(xué)し、化學(xué)界の重鎮(zhèn)であるマックスティシュラー教授の研究室で研究することができた。帰國する1973年に教授の力添えで米國の製薬大手メルク社と契約を締結(jié)した。北里研究所の大村グループはメルク社から資金提供を受け、微生物由來物質(zhì)を探索する。有望な物質(zhì)が見つかれば、特許を取り、その権利をメルク社に提供、実用化されれば北里研究所に特許ロイヤルティが支払われるという契約だった。
抗寄生蟲薬「イベルメクチン」の基となった抗生物質(zhì)「エバーメクチン」の発見で、毎年3億人もの熱帯地域の人々を感染癥の脅威から守っている。故郷の山梨県韮崎市に「韮崎大村美術(shù)館」を建設(shè)し、収蔵品も含めて市に寄贈した。將來の科學(xué)者を育成しようと設(shè)立を呼び掛け、多額の寄付をした「山梨科學(xué)アカデミー」などを設(shè)立した。
スクリーン上の寫真では、何十人もの子供たちが笑い、その中心に私がいる。子供たちの目が輝いていた。2004年に、失明の恐れがある感染癥「オンコセルカ癥」がまん延していた西アフリカのガーナを初めて訪れた際の一枚だ。小學(xué)校に立ち寄ると、特効薬の開発者が來訪したと知った子供たちが喜んで集まってくれ、とても感動した。
尊敬する偉大な細菌學(xué)者の北里柴三郎先生の『実學(xué)の精神』(研究を?qū)g地に応用すること)を絶えず思い出しながら『どれが世の中の役に立つか』を優(yōu)先させてきた。研究一筋で來たのがよかったと思う。山梨大學(xué)長に推挙されたが研究できなくなると分かって固辭したこともある。高報酬を持ちかけられても研究に影響が出ると分かれば斷わった。一貫して獨自性を大切にし研究して行けば道は開ける。(八牧浩行)
■筆者プロフィール:八牧浩行
1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務(wù)取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務(wù)めたほか、歐州、米國、アフリカ、中東、アジア諸國を取材。英國?サッチャー首相、中國?李鵬首相をはじめ多くの首脳と會見。東京都日中友好協(xié)會特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著?共著に「中國危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外國為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。
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