人民網(wǎng)日本語版 2016年6月1日(水) 9時10分
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各國の経済が中所得から高所得へと発展するためには、道も違えば、かかる時間も異なる。しかし、その過程における経済的法則は往々にして似通っている。資料寫真。
各國の経済が中所得から高所得へと発展するためには、道も違えば、かかる時間も異なる。しかし、その過程における経済的法則は往々にして似通っている。日本や韓國の経験を見ると、「中等所得の罠」を回避する主なシンボルは、膨大で安定した中間層を生み出し、「ラグビーボール型」の社會を形成することだ。
▼日本:「國民所得倍増計畫」で「一億総中流」実現(xiàn)
1960年12月、當(dāng)時の池田勇人首相は、內(nèi)閣會議で「國民所得倍増計畫」を打ち出し、実施が決定した。しかし、當(dāng)時その計畫を支持する人はほとんどいなかった。當(dāng)時、日本の生産水準(zhǔn)は、戦爭前の狀態(tài)に回復(fù)していたものの、ほとんどの経済學(xué)者が日本経済が急速に発展し続けるのは不可能との見方を示していた。そのため、最も楽観的な予測でも、年間経済成長率は6.5%とされていた。
それに対し、池田首相が打ち出した新計畫は、年間平均11%の経済成長率に設(shè)定し、國民の所得を倍増させるという目標(biāo)を掲げていた。あまりにポジティブで、大膽な計畫と感じ、支持する人がほとんどいなかったというのもうなずける。
同計畫を立案した経済學(xué)者?下村治氏は、減稅や利下げなどをレバレッジに、技術(shù)革新により生まれた需要を逃さなければ、國民の取得を倍増させるのは夢ではないと主張した。そして、翌61年からこの計畫の実施が始まった。農(nóng)業(yè)の分野において、農(nóng)地改革を通して農(nóng)産物の価格や農(nóng)業(yè)生産効率を向上させ、農(nóng)民の所得を増やした。工業(yè)の分野においては、減稅や利下げなどの対策を講じ、貿(mào)易を自由化し、中小企業(yè)の役割を重視した。そして、大小企業(yè)の役割分擔(dān)と連攜の仕組みを構(gòu)築し、所得の差を縮めた。政策のサポートの下、日本の企業(yè)は投資を拡大させ、技術(shù)革新を加速させた。その他、日本政府は、全國総合開発計畫を3度実施し、都市部と農(nóng)村部のバランスの取れた発展実現(xiàn)を目指した。
大きな経済発展の波に乗り、日本は結(jié)局、わずか6年でGDP(國內(nèi)総生産)を倍増させ、國民の収入を倍増させるという目標(biāo)も67年に達(dá)成した。
內(nèi)需の消費が刺激され、社會の財産が合理的に分配され、國民所得倍増計畫は成功した。そして、中間層が明らかに増加し、「一億総中流」の社會ができ、飛躍的に発展する日本の黃金時代が開始。1980年代中期に中等所得の罠回避成功につながった。
福建社會科學(xué)院アジア太平洋経済研究所の研究員?全毅氏は、「日本が中間層をうまく生み出した経験を見ると、その『奇跡』の背後には、経済の高度成長が十分の雇用を創(chuàng)出したことがある。うち、製造業(yè)の賃金が向上し、特に労働生産率の向上や企業(yè)の收入分配制度が、労働者の賃金を向上させた」と分析する。
▼韓國:「セマウル運動」で都市と農(nóng)村の格差縮まる
1970年代より以前、韓國の都市部と農(nóng)村部には大きな格差があった。全國の農(nóng)家250萬世帯のうち、約80%が草の屋根の家に住み、ランプを使っていた。そして、農(nóng)村の半分は道路が整備されておらず、農(nóng)民の所得は年間平均130ドル余りにとどまっていた。しかし、1970年代末に、韓國は農(nóng)村地域の道路を整備し、電気や水も使えるようになり、その年間平均所得は700ドルと、都市部とほぼ同レベルにまで向上した。このような大きな進歩が実現(xiàn)できたのは、當(dāng)時のパク?チョンヒ大統(tǒng)領(lǐng)が1970年から「セマウル運動」を?qū)g施したからだ。
當(dāng)時、韓國は工業(yè)化と都市化を推進する面で進展を見せていたものの、農(nóng)業(yè)の発展は進んでいなかった?!弗互蕙Ε脒\動」は、農(nóng)村を振興させ、農(nóng)民の生活理念を向上させることで、農(nóng)村の近代化を進めることを目標(biāo)に掲げていた。當(dāng)初、韓國政府は資金を投じ、セメントや鉄筋を無償で提供して、農(nóng)民が農(nóng)村振興に參加し、生活水準(zhǔn)を改善させるよう促した。その後、韓國政府は「モデル村」を選出し、全國の農(nóng)民が一生懸命働いて裕福になるよう鼓舞した。最終的に、農(nóng)村の環(huán)境が改善し、農(nóng)民の暮らしが良くなり、農(nóng)民が進んで主導(dǎo)するようになった。
10年で、韓國の農(nóng)民の所得は、都市部の人々の所得と比べて接近、もしくは逆転し、その格差は縮まった。しかし、「セマウル運動」の意義は、平均所得という數(shù)字に限られていない。長期的に見ると、この運動により、農(nóng)業(yè)と非農(nóng)業(yè)、各地域などの格差を縮め、全體の生活水準(zhǔn)向上につながり、國民経済の均等な発展が実現(xiàn)した。農(nóng)民の所得が増えると、短期間に多くの農(nóng)民が都市に進出し、都市部で問題が起きるのを避けることができ、農(nóng)村の都市化も加速する。韓國の都市化率は1990年代に70%以上に達(dá)し、農(nóng)村の人口比率は1960-70年代の80%から10%以下にまで減少した。中流階級と都市人口が韓國社會の主體となっている。
専門家は、「韓國は中間層を拡大するために、包括的発展の道を進んだ?!亥互蕙Ε脒\動』のほか、韓國政府は、稅收改革、社會保障の整備などを?qū)g施し、低所得層や弱者を特に守ることで、貧困層を減らした。そして、さらに多くの人が経済発展から益を得られるようにすると同時に、中間層が低所得層に逆戻りすることがないよう守ってきた」と分析している。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集/KN)
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