日本人の元人民解放軍兵士が回顧録出版=「日中は互いに理解し合う家族に」―中國

人民網(wǎng)日本語版    2016年6月4日(土) 8時30分

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日本の侵略戦爭が日中両國の人々にもたらした災(zāi)難をつづった書籍「難忘一家人――一個日本籍中國人民解放軍戦士的真実記録」がこのほど出版された。寫真は中國人民抗日戦爭記念館。

日本の侵略戦爭が日中両國の人々にもたらした災(zāi)難をつづった書籍「難忘一家人――一個日本籍中國人民解放軍戦士的真実記録」がこのほど出版された。中國新聞網(wǎng)が伝えた。

同書の內(nèi)容はすべて、日本人の元人民解放軍兵士?山辺悠喜子さんの口述と調(diào)査研究を踏まえた実體験を基にしており、戦爭が人々にもたらした被害を明らかにするとともに、戦爭に反対し、平和を大切にし、日中友好を願う気持ちが込められている。

資料によると、中國人民解放戦爭の際、技術(shù)に詳しく學(xué)問のある多くの日本人青年男女らが中國共産黨に入黨、あるいは中國國籍を取得し、中國の革命事業(yè)のために奮戦した。

同書の作者である山辺さんは1929年に東京で生まれ、12歳の時に家族に連れられて中國にやってきた。16歳で人民解放軍に參加し、部隊と共に南下、24歳の時に帰國したが、差別に苦しみ、退職後は中日両國を頻繁に往復(fù)し、日本軍中國侵略時の犯罪行為の証拠を探し続けた。

同書の內(nèi)容はすべて山辺さんの実體験を基にしており、16歳で人民解放軍に入った當(dāng)時の楽しい記憶や、貴重な成長の日々をつづっている。山辺さんが配屬された衛(wèi)生部隊には、日本人の西洋醫(yī)もいれば、中國人の漢方醫(yī)もいた。醫(yī)學(xué)の種類や國籍は違えども、皆互いに仲良く思いやり合いながら、生死を共にする戦友としての絆を結(jié)んでいた。山辺さんも、現(xiàn)地の人々が東北民主聯(lián)軍(後に中國人民解放軍第四野戦軍に改名)を信頼し、心から支援していることを感じ、「軍と民は家族」という言葉の意味を?qū)Wんだ。また、「皇軍」と稱する日本軍と東北民主連軍との違いを?qū)g感したという。

同書のテーマは「平和と友好を願い、未來を開拓する」だ。計16萬字からなる同書には、作者およびその所屬部隊が當(dāng)時の人物や情景を撮影した寫真が収録され、戦爭の苦しみや、大量の毒ガス弾による被害が明らかにされている。

山辺さんは「私は1953年に帰國後、様々な困難に直面するたびに、中國の戦友の言葉を思い出してきた。中國での貴重な経験を思い出し、自分を勵ましている」「日本政府に過去に対する心からの反省を促し、日中関係の発展を促進(jìn)するため、今後も積極的に活動していきたい。(日中が)互いに理解し合う『家族』となり、友好の伝統(tǒng)が世世代代続くことを願う」と語る。

88歳の山辺さんは、あの時代の自らの歴史を振り返ってどう思うかとの質(zhì)問に、「中國の革命に參加したこと、青春を中國にささげたことを誇りに思う」と答えた。(提供/人民網(wǎng)日本語版?編集SN)

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