「日本で仕事をやり抜くことを學んだ」、帰國後に夢だった屋臺を出店した中國人女性が話題に―中國

Record China    2016年6月9日(木) 7時10分

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6日、日本から帰國後に夢だった屋臺を出した中國人女性が注目を集めている。

2016年6月6日、北京青年報によると、日本から帰國後に夢だった屋臺を出した中國人女性が注目を集めている。

西南政法大學の前の通りで煎餅果子(※クレープのようなストリートフード)を焼くのがその女性、李玉紅(リー?ユーホン)さんだ。李さんは河南省出身。1996年に河南大學法學部に入學し、現(xiàn)在の夫と出會った。大學入學後、ほどなくして交通事故で父親を失った。それからは、學費を稼ぐためにアルバイトをしながら勉強した。

卒業(yè)後は広州の外資系企業(yè)で仕事をし、2005年に河南省に戻ってからは友人と一緒にレストランを開店した。しかし、思うように繁盛せず、貯金も底をついた。2007年、夫が西南政法大學の大學院に合格したことをきっかけに、研修生として日本へ行くことを決心。帰國後に家族で重慶に移り住み、まもなく子どもが生まれた。李さんは「3年間の日本滯在で、仕事をやり抜くことを學んだ。獨學で日本語検定2級にも合格した」と話す。

子育てをする中で、李さんは學生時代の夢だった屋臺を出そうと思い立った。煎餅果子の作り方を勉強するため、1歳の息子を連れて天津まで行った。そして昨年8月、念願かなって屋臺をオープン。遅くまで働く李さんに、家族は當初反対していたが、次第に応援するようになった。子どもとは朝しか顔を合わせることができなく、「申し訳なく思っている」というが、週末は息子も店に出て、お客さんを呼び込むなどの手伝いをしてくれるという。

大學を卒業(yè)し、語學の基礎がありながら屋臺をやりたいという人は、中國では珍しいかもしれない。しかし、中國のネットユーザーからは、「良いと思う。私たちが苦労して大學に入る最大の目的は稼げる良い仕事に就くこと。興味もあってお金も稼げるんだから、屋臺をやることは悪いことじゃない」と好意的な意見が見られる。また、「少なくとも、日本で本當のサービスと食品安全の厳しさを學べただけでも収穫だと思うよ」「夢を実現(xiàn)できたんだから祝福しよう。それに、労働によって対価を得るのはどの仕事も同じ。屋臺はすごく清潔そうだし。日本人の食品に対する細やかさを持ち帰っていることは素晴らしいことだよ」といったコメントが寄せられている。(翻訳?編集/北田

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