<インタビュー「臺(tái)灣とは何か」著者?野嶋剛(1/3)>米中の狹間で揺れる臺(tái)灣は「日本の鏡」、蔡英文総統(tǒng)の「現(xiàn)狀維持」を選択

八牧浩行    2016年6月18日(土) 14時(shí)20分

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著書「臺(tái)灣とは何か」を刊行したばかりのジャーナリスト?野嶋剛氏(朝日新聞元臺(tái)北支局長(zhǎng))がインタビューに応じた。

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著書「臺(tái)灣とは何か」を刊行したばかりのジャーナリスト?野嶋剛氏(朝日新聞元臺(tái)北支局長(zhǎng))がインタビューに応じた。臺(tái)灣は「米國に後ろ盾になってもらいながら、臺(tái)頭する中國と経済的に付き合ってビジネスをしなければならない」中で、試行錯(cuò)誤しながら、現(xiàn)狀維持の政策を志向し、悩み抜いて先の総統(tǒng)選挙で蔡英文を選んだと指摘した。また米中両大國に挾撃される臺(tái)灣は「日本の鏡」のような存在になり得る、と語った。(聞き手?Record China主筆八牧浩行

その他の寫真

――5月に上梓した新著「臺(tái)灣とは何か」(ちくま新書)は臺(tái)灣アイデンティティにスポットを當(dāng)てつつ、臺(tái)灣と中國との関係はもちろん、米中関係や日中関係など敏感な問題にまで論を展開していますね。

2007年に臺(tái)灣に特派員として赴任した時(shí)から10年ぐらいの取材の成果を本にまとめました。

08年総統(tǒng)選挙で馬英九が勝利し、獨(dú)立志向の強(qiáng)い陳水扁からガラッと変わりました。當(dāng)時(shí)は臺(tái)灣が中國と仲良くやっていくことによって生き殘っていく路線が続くと思っていました。ところが2014年のひまわり運(yùn)動(dòng)を境にがらりと雰囲気が変わって、蔡英文新政権が誕生した。臺(tái)灣は中國と違うんだ、臺(tái)灣は臺(tái)灣として生きていくという方向に動(dòng)いていく。この二つの変化をジャーナリストとして取材し、體験しました。そして、この変化は一體何だろうかということをまず考えました。

臺(tái)灣の人たちは現(xiàn)狀維持を望んでいると日本ではよく言われますが、日本人が言う臺(tái)灣の現(xiàn)狀維持と臺(tái)灣人が考えている現(xiàn)狀維持はずれがあると思います。日本人が言う臺(tái)灣の現(xiàn)狀維持は臺(tái)灣が何もせずに今のままでいいと思い込んでいるという現(xiàn)狀維持です。そこに大きな誤解があり、臺(tái)灣には生身の人たち2300萬人が生活し行き來し、真剣に悩みながら自分たちの未來を選択しているという視點(diǎn)が抜け落ちている。そうしたところを取り込んだ上で、この10年の大きな変化を論じなければいけないというのが、この本に書いたいくつかあるポイントの一つです。

少し亂暴な例えになりますが、臺(tái)灣の人たちは、民進(jìn)黨の陳水扁時(shí)代に獨(dú)立の方向にどこまでいけるか試してみた。でもなかなか難しい。國民黨の馬英九の時(shí)には中國とどこまで仲良くやっていけるか試してみた。でも中國の政治體制は簡(jiǎn)単には変わらないし、臺(tái)灣の人たちはやっぱり中國の人たちと自分たちは違うんだなと逆に思うようになった。獨(dú)立と統(tǒng)一のふたつの方向性について2000年以來16年かけて試行錯(cuò)誤を繰り返した。そこでたどり著いたひとつの選択肢が民進(jìn)黨の蔡英文だった、と私は理解しています。

臺(tái)灣の人々がどうやったらうまくいくか、試行錯(cuò)誤しながら悩み抜いて、最後は現(xiàn)狀維持の政策を志向し、蔡英文を選んだこの10年の物語を伝えたいということが執(zhí)筆の動(dòng)機(jī)のひとつでした。

――臺(tái)灣は中國との間で苦難の歴史を経験しました。民主化をまず実現(xiàn)しましたが、経済面では強(qiáng)大な存在となった中國と結(jié)びつかざるを得ないという事情がある。さらに軍事や政治では米國と連攜しなければならない、という事情もありますね。

その意味で、臺(tái)灣は日本の鏡だと思います。というのも、臺(tái)灣は米國に後ろ盾になってもらいながら、臺(tái)頭する中國と経済的に付き合ってビジネスをしなければならない。この中で、自分たちの自主獨(dú)立の道を歩みたい。そんな米中に板挾みとなる?yún)棨筏み\(yùn)命は日本人も常に感じていますが、日本より臺(tái)灣の方が領(lǐng)土も規(guī)模も小さく、両岸(中臺(tái))関係も極めて複雑であるので、より厳しさの実感の度合いは強(qiáng)いでしょう。

米中臺(tái)の三角関係について分析すれば、臺(tái)灣を見ることで、日本も見ることができる。臺(tái)灣は、日本人にとって學(xué)ぶべき価値があります。臺(tái)灣の問題を自分の問題として受け止めてほしいという考え方も、この本に盛り込みました。

――この本の中で「歴史上、臺(tái)灣は日本に2度捨てられた」と指摘していますね。

1945年の日本の敗戦時(shí)が一回目です。確かに臺(tái)灣人から切り離してほしいと望んだことではなかった。ところが日本人は切り捨てたという認(rèn)識(shí)がほぼゼロでした。臺(tái)灣の人たちが50年間「日本人」として生きてきた歴史が、この時(shí)に終わってしまった。その後の日本は高度成長(zhǎng)にまい進(jìn)して臺(tái)灣のことに思いが至らなかった。戦後は「中華民國」として日本と外交関係がありましたが、72年の日中國交回復(fù)後に、日本との関係を切り離されました。日本にとっては苦渋の選択という面はありましたが、このことも臺(tái)灣の人々からすれば「捨てられた」と受け止められても仕方のないものです。

――國連や國際社會(huì)の一員だったのが急に排除されたのですね。

日中國交正?;?、大陸の中華人民共和國は臺(tái)灣のことは一切觸れるなと言い、日本はこの要求を受け入れました。そして、臺(tái)灣はだんだん忘れられた。臺(tái)灣に觸れることは中國を刺激するとか、臺(tái)灣に近付かない方がいいとか、過剰な拒否感のようなものを、政治家も含め知識(shí)層が共有してしまった結(jié)果、臺(tái)灣がさらに忘れられていきます。

私は90年代、朝日新聞入社早々臺(tái)灣への留學(xué)を希望していましたが、結(jié)局會(huì)社の上層部に強(qiáng)く反対されて中國アモイの大學(xué)に行き先を変更しました。これも、広い意味でそうした臺(tái)灣に対する一種の忌避という文脈の中での出來事だったと思います。

――國交正?;?dāng)時(shí)の中國フィーバーはすごかったですね。ジャーナリズムとしても反省もあると思います。

72年から冷戦終結(jié)までは日本も中國も國際的にも厳しい狀況に置かれていたので、そのころまではある部分でやむを得なかったとも理解できます。ところが、冷戦が終わって臺(tái)灣が民主化し、中臺(tái)関係も相互往來できるように改善し、臺(tái)灣に対して抱く懸念の前提がほぼ消えてしまった後も、近年まで臺(tái)灣に対する心理的な縛りとか思考停止が続いてしまったことが一番問題だったと思います。その時(shí)點(diǎn)から徐々に発想を切り替えればよかったが、それができなかった。日本の政治、メディア、アカデミズムも含めた知的怠慢という部分は否定できません。もっと早く、臺(tái)灣を単なる中國の付屬物ではない等身大の臺(tái)灣として認(rèn)識(shí)し、向き合う方向に臺(tái)灣認(rèn)識(shí)を更新していく必要があったのです。

<インタビュー「臺(tái)灣とは何か」著者?野嶋剛(2/3)>若者を中心に「臺(tái)灣アイデンティテ?!工_立、「1國2制度」「平和的統(tǒng)一」に拒否反応」に続く

野嶋剛

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大學(xué)新聞學(xué)科卒。大學(xué)在學(xué)中に香港中文大學(xué)に留學(xué)。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中國?アモイ大學(xué)留學(xué)、西部社會(huì)部を経て、シンガポール支局長(zhǎng)や臺(tái)北支局長(zhǎng)として中國や臺(tái)灣、アジア関連の報(bào)道に攜わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦爭(zhēng)従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名畫?清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報(bào)社)、「ラスト?バタリオン 蔣介石と日本軍人たち」(講談社)、「認(rèn)識(shí)?TAIWAN?電影 映畫で知る臺(tái)灣」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ?ライフ」(明石書店)。最新刊に「臺(tái)灣とは何か」(ちくま新書)と「故宮物語」(勉誠出版)。著書の多くが中國?臺(tái)灣でも翻訳?刊行されており、現(xiàn)地でも高い評(píng)価を受けている。

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時(shí)事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長(zhǎng)、常務(wù)取締役編集局長(zhǎng)等を歴任。この間、財(cái)界、大蔵省、日銀キャップを務(wù)めたほか、歐州、米國、アフリカ、中東、アジア諸國を取材。英國?サッチャー首相、中國?李鵬首相をはじめ多くの首脳と會(huì)見。東京都日中友好協(xié)會(huì)特任顧問。時(shí)事総合研究所客員研究員。著?共著に「中國危機(jī)ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外國為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

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