日本の缶コーヒーに思い出す父の溫もり―父の日に贈(zèng)るエッセー

Record China    2016年6月19日(日) 15時(shí)50分

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父親の形見(jiàn)となった日本の缶コーヒー。臺(tái)灣?臺(tái)中市のMaggie Chiangさんは父への思いをつづっている。

私が小さいころ、わが家は町に1軒しかない電器屋を営んでいた。日本製品を扱っていた父は、大の日本好き。私の幼少時(shí)代の大事件といえば、日本の家電メーカーの表彰式に參加する父に連れられて日本へ出かけたこと。表彰式が行われたのは北海道だった。

父は病に倒れても、生來(lái)の楽観主義を失わず、「楽しみながら終わりを迎えられたらいいね」といつも話していた。

2013年3月、74歳になった父は再び、北海道を訪れたいと言い出した。體力は明らかに衰え、介添えが必要な狀態(tài)だったので、妹は私についていくよう頼み込んできた。私はちょうど義母が手術(shù)を終えたばかりで手を離せなかったこともあり、父には北海道行きを諦めるよう伝えた。だが父は「これが最後の旅行だから」と妹を同行して出かけた。

寒さ厳しい3月の北海道。妹は自動(dòng)販売機(jī)で溫かい缶コーヒーを買(mǎi)い、父に手渡した。父はポケットにしまうと「お姉ちゃんはコーヒーが好きだったね。持って帰って渡すよ」と言い、飲むことをしなかった。「これは日本みやげさ」と笑いながら缶コーヒーを手渡す父。私は何気なくテーブルの上に置いた。

2カ月後に父は他界した。実家で父の最期を看取り自宅に戻ると、テーブルに置かれた缶コーヒーが目に入り、涙があふれた。ありふれた日本みやげが父の形見(jiàn)となった。

父はこの缶コーヒーで暖をとった。私は父を思う時(shí)、この缶コーヒーを握りしめ、懐かしい暖かさを探す。

本棚に大切に保管している缶コーヒー。私には無(wú)念の痛みであり、大切な父の形見(jiàn)でもある。(作/臺(tái)中市Maggie Chiang?翻訳/柳川)

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