Record China 2016年7月12日(火) 5時10分
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10日、新華社通信は、日本で中國語を教えた経験を持つ人物が日本の生徒との交流についてつづったコラムを掲載した。寫真は教室。
2016年7月10日、新華社通信は、日本で中國語を教えた経験を持つ人物が日本の生徒との交流についてつづったコラムを掲載した。
10年前、私は自分の父親と同じ世代の日本人の中國語教師となった。彼らは私を「先生」と呼んでくれたが、年齢に加え各分野の専門家である彼らの先生が務まるのか不安だった。
クラスの生徒らは皆日本の國家資格である「技術士」を持つ人たちで、各分野で専門家として活躍してきた。豊富な知識を持つ彼らだが、授業(yè)中はまじめで積極的に発言していた。
中でも、背の高い鳥飼さんはクラスのムードメーカーだった。皆飲み物としてお茶やコーヒーを持參していたが、彼だけいつもコーラを飲んでいた。私が冗談で「中國では若者が好んでコーラを飲む。さすがクラスの最年少ですね」と話しかけると、彼は笑顔を見せ中國語で「數(shù)年前がんを患い1カ月間ほど自分で物を食べられない狀態(tài)が続いた。その時の夢がコーラを飲むことだった」と理由を語ってくれた。
最後の授業(yè)の後、鳥飼さんはお別れ會をセッティングしてくれ、皆と別れた後も彼は駅まで送ってくれた。ホームで彼は手を振り、中國語で「先生、必ず中國に會いに行きますね」と別れの言葉をかけてくれた。
私は帰國後も彼らと連絡を取り、特に鳥飼さんのメールは一番多く、趣味の射撃や皆の現(xiàn)狀など近況を書きつづっていた。その後鳥飼さんのメールは減ってしまい、他の人から「鳥飼さんは入院したまま帰ってくることはできなかった」との連絡をもらった。
知らせを受けた後、私はある夢を見た。それは、今まで中國に來たことのない鳥飼さんを連れ、中國の大學を見學している場面だった。私がかつて中國語を教えた生徒らは今、中國の技術者と交流し、各種のイベントに參加している。彼らは戦後の日本の高度成長を支えた専門家で、まじめで妥協(xié)せず、初心を貫く姿勢を持って第2の人生を歩み続けている。(翻訳?編集/內山)
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