八牧浩行 2016年7月31日(日) 5時40分
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満州、関東州、臺灣?朝鮮半島?南樺太?南洋諸島など戦前の日本統(tǒng)治地域の鉄道の実態(tài)は戦後70年以上を経て、ベールに包まれている。本書にはその実態(tài)が、約200枚の寫真付で詳しく解説され、タイムスリップできる。寫真は南満州鉄道「あじあ」號(本書より)。
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満州、関東州、臺灣?朝鮮半島?南樺太?南洋諸島など戦前の日本統(tǒng)治地域の鉄道の実態(tài)は戦後70年以上を経て、ベールに包まれている。どこをどんな列車が走っていたのか?,F(xiàn)地の通貨、內(nèi)地と異なる切符、時差や旅館など興味深い資料が満載。當(dāng)時の旅行者がどのように鉄道旅行をしたのかが、詳しく解説され、タイムスリップできる。鉄道車両や駅舎、時刻表、チケット、観光地、旅行案內(nèi)などの寫真約200枚を見るだけでも往時に旅行した気分になる。
【その他の寫真】
當(dāng)時の日本“國內(nèi)”旅行ガイドブックには、北海道から九州に至るまでのいわゆる「內(nèi)地」と並んで「外地」への観光旅行案內(nèi)が詳細(xì)に記述されている。市販の時刻表の巻頭には、東京から朝鮮、満州、その先の中國やシベリア鉄道を介したヨーロッパへの國際列車の連絡(luò)時刻表が掲載され、樺太、朝鮮、満州、臺灣などの鉄道時刻表も掲載されていた。
圧巻は南満州鉄道の特急「あじあ」號だ。技術(shù)の粋を集めて1934年に登場。冷房完備の客車は淡い緑色の流麗なフォルムで、食堂車や展望車も連結(jié)した豪華編成だった。
「東洋に於(お)ける『陸の王者』」。デビュー當(dāng)時のパンフレットにはこんなキャッチコピーが躍る。大連と満州國の首都、新京(現(xiàn)?長春)間の約701キロを8時間半で結(jié)び、平均時速は82.5キロ。最高時速は120キロで、當(dāng)時の世界最速クラスを誇った。
あじあ號を牽引(けんいん)したスカイブルーの蒸気機(jī)関車「パシナ」は、空気抵抗を減らした流線形で、新幹線にも通じるデザイン。本書には瀋陽の鉄道陳列館で展示保存されている雄姿が掲載され往時をしのぶことができる(寫真參照)。
朝鮮半島では、日本がソウル?釜山間の京釜鉄道建設(shè)に際して主張して以來標(biāo)準(zhǔn)軌が採用された。満州をつなぐルートとしても重要で、特急「あかつき」や急行「ひかり」「のぞみ」が走っていた。
苦難の末に南北縦貫鉄道が敷設(shè)された臺灣では、一貫して貨物収入が旅客収入を上回っており、産業(yè)鉄道としての役割が大きかった。製糖鉄道や森林鉄道としても重要で、高砂族専用の無料列車があったという。駅は中國風(fēng)と日本風(fēng)の名前が混在し、臺灣銀行券と日本銀行券の両方が使えた。
航空旅客輸送や長距離自動車交通が発達(dá)していなかった當(dāng)時、長距離旅行と言えば列車に乗ることを意味した。本書はそうした「外地」の鉄道旅行の実態(tài)を夥しい文獻(xiàn)や寫真から読み解き、現(xiàn)代のガイドブック風(fēng)にまとめたものだ。これまで見たことのない貴重な寫真や資料も多く、著者の収集にかけた熱意と努力に脫帽したい。
大日本帝國時代の「侵略」の象徴とみなされることが多く、あまり日の目を見ることがないテーマだが、戦後70余年経った今、歴史のひと幕として冷靜に振り返る書としても有用だろう。(評?八牧浩行)
<小牟田哲彥著『大日本帝國の海外鉄道』(東京堂出版、2000円稅別)>
■筆者プロフィール:八牧浩行
1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務(wù)取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務(wù)めたほか、歐州、米國、アフリカ、中東、アジア諸國を取材。英國?サッチャー首相、中國?李鵬首相をはじめ多くの首脳と會見。東京都日中友好協(xié)會特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著?共著に「中國危機(jī)ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外國為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。
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