人民網(wǎng)日本語(yǔ)版 2016年8月25日(木) 15時(shí)50分
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重慶市生まれの朱大明さんは、工場(chǎng)作業(yè)員や教師、テレビ局での編集の仕事を経験した後、1987年に広東省深セン市で火鍋レストランをオープンさせ、20年前に擔(dān)擔(dān)麺と重慶火鍋を日本へ持ち込んだ。
重慶市生まれの朱大明さん(70)は、工場(chǎng)作業(yè)員や教師、テレビ局での編集の仕事を経験した後、1987年に広東省深セン市で火鍋レストランをオープンさせ、20年前に擔(dān)擔(dān)麺と重慶火鍋を日本へ持ち込んだ。今では九州地方重慶同郷會(huì)の會(huì)長(zhǎng)を務(wù)めながら、福岡で擔(dān)擔(dān)麺や火鍋のレストランを數(shù)店舗経営している。重慶晨報(bào)が伝えた。
朱さんは來(lái)日からすでに20年近くが経ち、福岡で何店舗も擔(dān)擔(dān)麺レストランをオープンさせた。しかし朱さんは今でも全く日本語(yǔ)ができない。いつもがなるような大聲で話す重慶方言だけ。これには皆とても驚くのだという?!钢貞c方言は私の母語(yǔ)であり、自分の血液にまでしみこんでいるほど。今さら方言をやめることはできない」と朱さんは語(yǔ)った。
現(xiàn)在朱さんは株式會(huì)社大明物産の社長(zhǎng)と九州地方重慶同郷會(huì)の會(huì)長(zhǎng)を兼任している。仕事が忙しいので、息子の朱璽さんが通訳をしている。朱璽さんがいないときは、別の通訳に依頼しないといけないのだという。
■1987年に脫サラ 深センで火鍋レストランをオープンさせ大繁盛
朱大明さんは重慶で工場(chǎng)作業(yè)員や教師、テレビ局での編集の仕事を経験し、1987年にマネジャーを務(wù)めていた華夏音像會(huì)社を退職し、新しい挑戦をするために身一つで深センへ向かった。
朱さんはまず飲食業(yè)に投資することを決め、すぐさまレストラン「大明火鍋城」をオープン。同レストランの名はたちまち世間に知れ渡り、たった半年で深センの人気レストランとなり、市民が連日行列を作った。
深センで一儲(chǔ)けした後、朱さんは歐米やアジアで視察を行った。その視察を通して外國(guó)では中國(guó)の飲食文化があまり知られておらず、中國(guó)語(yǔ)の看板を掲げたレストランが中國(guó)料理店であり、そこで出されるのが中國(guó)料理だと認(rèn)識(shí)されていることを知った。朱さんは本物の中國(guó)料理を外國(guó)へ持ち込み、世界中に中國(guó)の正式な飲食文化を普及させたいと考えるようになった。
■擔(dān)擔(dān)麺と火鍋を日本で普及させる
重慶市外事僑務(wù)弁公室の魏司峰主任は、當(dāng)時(shí)、中國(guó)在福岡総領(lǐng)事館に勤務(wù)しており、重慶火鍋を日本に紹介し、本物の重慶の飲食文化を日本人に知ってもらいたいと考えていた。そんな折に同じ考えを持った朱さんと出會(huì)い、二人は意気投合し、重慶擔(dān)擔(dān)麺と火鍋を福岡で広めることとなった。
最初、日本人にとって重慶料理特有の舌がしびれるほどの強(qiáng)烈な辛さはやや馴染まなかったようで、辛さのあまり、口が合わさらないほどだったという。しかし日本人には美食を受け入れる寛容性があるため、舌がしびれるほどの強(qiáng)烈な辛さの料理でも、その味わいの獨(dú)特さから、リピーターとなり、次第にこういった味わいにも慣れていった。朱さんは「今では、ここのお客は四川料理を食べるのが習(xí)慣になってしまい、リピーターも多い」と語(yǔ)った。
また、「多くの日本人が私の店で生まれて初めて重慶火鍋を食べたという。私は九州地方で初めて本物の重慶火鍋と四川料理を普及させた人物だ」と自慢げに語(yǔ)った。
■擔(dān)擔(dān)麺レストランが海外に重慶を紹介する窓口に
朱さんは、今では福岡に5軒の擔(dān)擔(dān)麺レストランと1軒の火鍋レストランを所有している。朱さんは店のメディア取材には快く応じている。その擔(dān)擔(dān)麺レストランのうち1軒は埋め立て地の福岡の電子工業(yè)団地敷地內(nèi)にあるテレビ西日本(TNC)のビル內(nèi)にある。店內(nèi)に入ると、壁に掛けられた重慶の風(fēng)景寫真が目に入る。多くの福岡県民はここで生まれて初めて重慶の風(fēng)景を見ることになる。このほど、同店は娘の朱●さん(●は王へんに旋)が経営を務(wù)めることになった。重慶生まれの朱●さんは四川外國(guó)語(yǔ)大學(xué)で日本語(yǔ)を?qū)煿イ筏郡趣いΑ?/p>
最も有名な店は開業(yè)して15年になる「大明擔(dān)擔(dān)麺」の博多店で、九州人のほとんどが知っているほどだ。同店はとても有名で、福岡を初めて訪れた際、同店のおすすめ料理を撮影し、微信(Wechat)のモーメンツに投稿したところ、どの都市とは説明していなかったにもかかわらず、すぐに広島にいる友達(dá)から、「福岡に來(lái)たんだね!」と返信が來(lái)たほどだ。
■重慶と福岡が力を合わせて日中交流促進(jìn)
朱さんは現(xiàn)在はすでに基本的にレストランの業(yè)務(wù)は管理することはなく、九州地方と福岡市の工業(yè)や商業(yè)、金融業(yè)界などの人たちに働きかけグループを作り、重慶への視察、訪問(wèn)、技術(shù)?経済?文化の交流や協(xié)力を行っている。
朱さんはすでに高齢ということもあり、現(xiàn)在では息子の朱璽さんがその跡を継いでいる。二人とも日中交流に熱心で、日本の多くのメディアと良好な関係を築いている。各メディアが中國(guó)関連の番組を作ろうと考えた場(chǎng)合、真っ先に「大明火鍋城」のオーナーの親子が思い浮かべるほどだという。
息子の朱璽さんは、「私たちが最も誇りにしているのは、福岡在住の華僑華人がこれまで3回福岡春節(jié)祭を開催したことだ。私はこの祭りの実行委員長(zhǎng)を務(wù)めている。この祭りには九州地方から20萬(wàn)人以上の人が參加し、中國(guó)文化が深く感じられる交流活動(dòng)を行っている。來(lái)年の春節(jié)祭は國(guó)內(nèi)からさらに多くの人や団體を招待するつもりだ。私は故郷?重慶から多くの人や団體が參加してほしいと願(yuàn)っている。また、私が今最も実現(xiàn)させたいと思っているのが、福岡と九州地方が重慶と経済?文化の面での交流?協(xié)力を行うことを推進(jìn)させることだ」とその思いを語(yǔ)った。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集YK)
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