人民網(wǎng)日本語(yǔ)版 2016年8月28日(日) 7時(shí)10分
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8月8日午後3時(shí)、明仁天皇がテレビ畫面に登場(chǎng)した。その獨(dú)特な非常にゆっくりした、そしてはっきりした話し方で、日本國(guó)民に対し、高齢と體の衰えにより國(guó)の象徴として公務(wù)を履行することが「困難」になったと語(yǔ)った。
8月8日午後3時(shí)、明仁天皇がテレビ畫面に登場(chǎng)した。その獨(dú)特な非常にゆっくりした、そしてはっきりした話し方で、日本國(guó)民に対し、高齢と體の衰えにより國(guó)の象徴として公務(wù)を履行することが「困難」になったと語(yǔ)った。(文:陳言。瞭望東方週刊掲載)
日本人にとって、今回初めて明仁天皇が話すのを目にしたという人も多いだろう。なぜなら日本人にとっての天皇は常に寡黙で、正裝に身を包み、內(nèi)閣に任命された各大臣に任命書を手渡すという存在だからだ。
日本では天皇は一種の象徴としての存在であり、國(guó)政に參加することはない。天皇が國(guó)民の前に登場(chǎng)する確率がやや高くなるのは、地震などの自然災(zāi)害が生じた場(chǎng)合に限られる。こういった災(zāi)害時(shí)には、ややくだけた服裝の天皇が早い段階で被災(zāi)地を訪れる。それから避難所に腳を踏み入れ、靴を脫いで、跪き、被災(zāi)者たちに親しげに聲をかける。これはテレビで見る居住まいを正した天皇とは異なる一面だ。
また日本人にとって今回のビデオメッセージのほかに「天皇のお言葉」として印象深いのは71年前の玉音放送だろう。1945年8月15日、明仁天皇の父である昭和天皇がラジオを通じて、第二次世界大戦の終戦を告げた。実際はこれは日本の無條件降伏の宣言であり、これは日本人にとって記憶にとどめるべき歴史的教訓(xùn)となっている。
終戦後、天皇は毎年靖國(guó)神社への親拝を行っていたが、1978年以降、日本政府がA級(jí)戦犯を合祀させてから、昭和天皇も明仁天皇も靖國(guó)神社を親拝していない。
明仁天皇は今年82歳。一見まだまだしっかりしているように見えるが、皇室擔(dān)當(dāng)の日本人記者はその身體の衰えを指摘している。
2012年3月に東日本大震災(zāi)の一周年追悼式が行われた際には、明仁天皇は心臓のバイパス手術(shù)を受け、胸にたまった水も完全に排出していないような狀態(tài)で、息切れの癥狀も殘っていたにもかかわらず、追悼式に最初から最後まで參加した。
しかし、2015年8月15日の全國(guó)戦沒者追悼式では、時(shí)計(jì)のように正確であったはずの明仁天皇が式次第でミスを犯してしまい、また10月に參加したイベントでも同様のことが起きていた。8月8日のビデオメッセージを聞き、日本人の多くは初めてその衰えを感じたに違いない。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集TG)
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