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日本人が見た中國(guó)人の溫かみ=「なぜ戦爭(zhēng)を経験した中國(guó)人は日本人に対して寛容なのか?」―中國(guó)メディア

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版    2016年9月9日(金) 2時(shí)20分

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私は北京で13年生活している日本人だが、中國(guó)で最も大切な思い出といえば成都にある。

私は北京で13年生活している日本人だが、中國(guó)で最も大切な思い出といえば成都にある。(文:吉田陽(yáng)介。瞭望東方週刊掲載)

それは2003年、私が中國(guó)に留學(xué)して早3年目の時(shí)だった。當(dāng)時(shí)、日中関係は小泉首相の靖國(guó)參拝の影響で急に冷え込んでいた。

私が最も頻繁に中國(guó)の學(xué)生に受けた質(zhì)問はほぼ戦爭(zhēng)と歴史についてのもので、「日本の首相はなぜ靖國(guó)神社を參拝しないといけないのか?」、「あなたは先の戦爭(zhēng)に対してどんな考えを持っているか?」、「日本が正しいのか、中國(guó)が正しいのか?」など少し「きな臭さ」を帯びた質(zhì)問だった。

2003年1月、中國(guó)の春節(jié)(舊正月)を體験するため、私は中國(guó)人の友人の故郷である成都に行った。友人の友人は抗日戦爭(zhēng)の時(shí)に日本軍と戦った退役軍人の王さんといい、彼は私に會(huì)いたがっていた。

王さんに會(huì)う前、私は少し緊張していた。萬(wàn)が一、歴史と戦爭(zhēng)問題に話が及んだらどう答えたらいいのか?

王さんは一人で生活しており、狹い家の壁にはたくさんの書畫が掛けられていた。王さんを見つけた私は少し緊張しながら「こんにちは」と挨拶をし、王さんは自分から手を伸ばし私の手を握り「いらっしゃい」と言った。

このやり取りで私はとても溫かい気持ちになった。王さんは標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)が話せず、成都の方言のみ話すことができる。私は成都の方言が全くわからないので、私達(dá)は友人による標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)への「通訳」を通して交流した。當(dāng)時(shí)、私の標(biāo)準(zhǔn)語(yǔ)のレベルは低く、聞き違いや聞き取れない時(shí)は筆談で交流するほかなかった。

王さんが紙の上に「私は黒田という日本人の友人がいる。私と一緒に將棋をさした。彼は非常に禮儀正しい人だ」と書いたのを覚えている。當(dāng)時(shí)の日中関係の雰囲気において、このような友好的な態(tài)度は私の中で深く印象に殘った。唯一、悔しかったのが當(dāng)時(shí)の私の中國(guó)語(yǔ)レベルの低さだ。もし今なら「黒田さんはどこの人ですか?黒田さんとの最も印象的な思い出は何ですか?」と必ず質(zhì)問を続けるだろう。

私は成都での1カ月間、ほぼ毎日のように王さんに會(huì)いに行った。王さんは私を「客人」としてみなし、いつも美味しいお茶をご馳走してくれ、晝ごはんをご馳走してくれる時(shí)もあった。

北京に戻る前日、私と友人は別れの挨拶に行った。王さんは何回も私と固く握手しながら家から出てきて、そしてお辭儀をした。王さんは私に「別れの挨拶の時(shí)、お辭儀をするのは日本人の習(xí)慣ですよね?」と聞いてきた。この言葉に私はとても感動(dòng)した。なぜなら王さんはかつての「敵國(guó)」の文化をこんなに尊重しているからだ。

北京に戻ってから私は考え始めた?!袱胜紤闋?zhēng)を経験した中國(guó)人は、日本人に対して逆に寛容なのか?戦爭(zhēng)を経験していない若い世代は卻って『強(qiáng)硬』な考え方を持ちやすいのか?」

私は「本當(dāng)に日本人の身になって日本を理解するか、またネットや抗日映畫で日本を理解するか」というところに違いがあると考える。よって日中が將來(lái)もし政治的な冷え込みを取り払いたいならば先入観を捨て、親身になって相手を理解し、相手の生活や心に近づくこと。これは私が中國(guó)で13年間生活して、最も切実に感じることである。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集JK)

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