Record China 2006年7月20日(木) 17時10分
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新たに発見された、興山要塞の遺構。興山要塞は、日本軍占領時代に築かれた「東方マジノ線」と呼ばれる要塞線の一つ。
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2006年7月、黒龍江(こくりゅうこう)省鶴岡(ハーガン)市で、日本軍占領時代に造られた「興山(シンサン)要塞」が新たに発見された。1930年代初頭、舊日本軍は中國の東北地方を占領した後、中國と舊ソ連、中國とモンゴルの國境線沿いに軍事要塞を17カ所配し、「東方マジノ線」と呼ばれる要塞線を築いた。今回、発見された「興山要塞」は、この「東方マジノ線」の要塞の一つである。これまで、鶴岡市史學研究會と「興山要所」研究チームのメンバーが、日本占領時代の文書と、実地調査を重ねた結果、鶴岡市北東部に位置する興山地區(qū)石頭廟子(スートウミャオズー)付近の山にある建造物群が「興山要塞」であることが判明した。山の上には、鉄筋コンクリートでできた軍事施設が數十棟點在しており、小さな規(guī)模のものから面積100?ほどの規(guī)模のものまであったことがわかる。また、山の麓には、舊日本軍の作戦指揮所と思われる軍事施設があった?,F在、それらの軍事施設はすべて爆破され、壁などの遺構しか殘されていないが、観光スポットとして、いまも多くの人々が訪れている。
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