Record China 2016年10月4日(火) 7時50分
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2日、東京と中國黒竜江省ハルビン市で、中國殘留孤児に関するフォーラムが開かれた。李淑蘭さんは90歳を超える高齢でありながらフォーラムに參加し、日本のいる養(yǎng)女に宛てたメッセージを関連団體に託した。寫真は黒竜江省にある中日友好園林。
2016年10月2日、東京と中國黒竜江省ハルビン市で、中國殘留孤児に関するフォーラムが開かれた。李淑蘭(リー?シュウラン)さんは90歳を超える高齢でありながらフォーラムに參加し、日本のいる養(yǎng)女に宛てたメッセージを関連団體に託した。中國新聞網(wǎng)が伝えた。
第2次世界大戦終結後、4000人余りの日本の児童が中國人に引き取られた。池辺順子さんもその1人で、彼女の実の母親に懇願されやせ細った姿をふびんに思い、當時20歳だった李淑蘭さんは彼女を引き取った。李さんは自身の子どもが生まれてからも池辺さんをかわいがり、池辺さんはその後中國で結婚し家庭を築いた。子寶に恵まれた池辺さんだったが、1981年に日本人殘留孤児として5人の子どもを連れ日本に渡った。
李さんは當時のことについて、「恐怖の色を隠せなかった5歳の女の子を私は見捨てることはできなかった。41歳まで中國で生活し、実の母親には會いたくないと話していたが、強がりであることは分かっていた。彼女は小さいころから自分の出生について知っていた。とても聞き分けの良い子だった。(日本に渡ることを)喜ぶ彼女を見て、私はさまざまな感情を抱いた」と語っている。
池辺さんが日本に渡った後も李さんとの連絡は途絶えることがなく、これまでに2度中國に赴き李さんに會いに行った。ところが、數(shù)年前に池辺さんが體を壊したことに加え家が引っ越しために一度連絡が途絶えてしまった。李さんは池辺さんを心配し、家族の反対を押し切り2015年に日本に渡り池辺さんを探し、現(xiàn)地の民間団體の協(xié)力もあり病床の娘、池辺さんと再會した。
殘留孤児と中國の養(yǎng)父母の間には愛があふれている。だが、時間の経過とともにこの世を去る人が相次いでいる?,F(xiàn)在日本殘留孤児を養(yǎng)育した中國人はハルビンで李さん1人となった。李さんは現(xiàn)在息子の家で靜かに暮らしているが、「日本にいる娘に一目會いたい。私も娘ももう若くない。まだ動けるうちにもう一度會いたい。もしかしたら次の再會が最後の再會になるかもしれない」と心境を語っている。(翻訳?編集/內山)
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