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2日、日本を訪れた中國人観光客の女性が名古屋と白川郷での感動(dòng)體験を書きつづっている。寫真は手羽先。
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2016年12月2日、日本を訪れた中國人観光客の女性がこのほど名古屋と白川郷での感動(dòng)體験を書きつづっている。
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時(shí)間と旅費(fèi)を考えて、私たちはエティハド航空で名古屋に行くことにした。問題はアブダビ発、北京経由だからよく遅延が生じること。運(yùn)が良いことに私たちはわずか1時(shí)間の遅れで名古屋に到著することができた。時(shí)計(jì)を見ると時(shí)間は午後3時(shí)半だ。出発前に友人から強(qiáng)く勧められた名古屋の手羽先を食べようと、私たちは有名店「風(fēng)來坊」へと向かった。店內(nèi)には「手羽先の食べ方」の紹介があり、そこに書いてあった4種類の食べ方に私たちは度肝を抜かれた?!袱胜螭瓶嵓?xì)なんだろう!」―。中國での手羽先の食べ方はそのまま“ガブリ”なのに、ここでは関節(jié)の端を取ったり、手で肉を骨から離したりだなんて…。日本人は公共の場で靜かさを心掛ける人々なのだ。靜かにご飯を食べ、會(huì)話も小さな聲。笑う時(shí)だって控えめだ。
今回の旅の目的地である白川郷は、獨(dú)特なのに注目度がそれほど高くない観光地だ。日本にいる友人からは「白川郷を訪れる中國人観光客は多いとは言えないが、臺(tái)灣からは大勢が行っている」と聞いた??证椁瘮?shù)年もすれば中國人も白川郷に関心を向け始めることだろう。白川郷に到著したのは入國當(dāng)日の夕方だ。1995年にユネスコ(國連教育科學(xué)文化機(jī)関)の世界文化遺産に登録された白川郷には、「合掌造り」という様式の家屋が並んでいる。三角形のわらぶき屋根は、遠(yuǎn)くから見ると合掌しているかのよう。ここから「合掌造り」の名が付いたらしい。集落に足を踏み入れた途端、私は悠然としたその雰囲気に圧倒されたのだった。
夜は溫泉に入ってから川辺を散歩した。大きな道以外に明かりはなく、辺りは真っ暗で靜まり返っている。それゆえ水の流れる音や川面に映った星の光がいっそう際立ち、目の前の川は「星の川」に。美しく、ロマンチックな光景だった。
次の日の朝は4時(shí)半に起きて山に登り、日の出を眺めることにした。足元には露、空からは月の光、漂ってくるのは草木の匂いだ。われわれ女子3人は意気込んで前進(jìn)を続けた。殘念ながら太陽が昇るところを目にできる場所ではなかったが、それぞれが自分の鑑賞スポットを見つけて朝の光景を楽しんだ。重要なのは何を見るかではなく、何かを追い求める過程なのだ。それに、手を伸ばせば屆きそうな雲(yún)海にすがすがしい早朝の空気。素晴らしくないはずがない。日の出とは逆方向の、集落の端にある緑の森にも人を酔わせる美しさがあった。
早朝の山頂は骨まで凍ってしまいそうな冷え込みで、私たちは震えながら旅館に戻った。コーヒーとみそ汁を飲んでも體は溫まらず、翌日は3人そろって風(fēng)邪狀態(tài)。次の目的地への移動(dòng)を斷念した私たちはそのまま白川郷に留まり、喫茶店の窓辺でのんびりとした時(shí)間を過ごした?!溉栅胜郡埭盲长驑Sしむ貓」といった気分だ。そんな中、ふと窓の外を見ると、そこには時(shí)間に追われて急ぎ足で歩く団體客の姿があった。時(shí)計(jì)を見ながら仲間に聲を掛けている。彼らはきっとこの集落のゆったりとした風(fēng)情を堪能しないまま、次の目的地へと向かわざるを得ないのだろう。この桃源郷を満喫できないのは本當(dāng)に殘念なことだし、旅の本質(zhì)に背くものではないだろうかと考えてしまった。(翻訳?編集/野谷)
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