黃 文葦 2016年12月3日(土) 16時(shí)20分
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シンガポールの公共の場(chǎng)所では、英語(yǔ)?中國(guó)語(yǔ)?マレー語(yǔ)の標(biāo)識(shí)をよく見かける。日本語(yǔ)はあんまりない。しかし、シンガポール最大最古のイスラム教寺院であるサルタン?モスクで「日本語(yǔ)」と出會(huì)った。筆者撮影。
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普段、人はあんまり見知らぬ人と話さない。でも、旅行中、是非いろんな人に聲を掛けてみてください。きっとサプライズがあると思う。
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11月3日から6日まで、初めてシンガポールを旅した。どこに行っても、まわりから日本語(yǔ)が飛び込んでくる。食事の際、隣席はいつも日本人であった。
シンガポールの街の中、いろんな肌の色の人々が歩いている。この小さな國(guó)の4割の住民が移民である。肌の色で誰が外國(guó)人か、誰がシンガポール人か、判斷しかねることはない。それは、旅行者にとって気楽なことで、自分が旅行者であることすら忘れがちになる。
シンガポールの公共の場(chǎng)所では、英語(yǔ)?中國(guó)語(yǔ)?マレー語(yǔ)の標(biāo)識(shí)をよく見かける。日本語(yǔ)はあんまりない。しかし、シンガポール最大最古のイスラム教寺院であるサルタン?モスクで「日本語(yǔ)」と出會(huì)った。
サルタン?モスクはとても広大で、華麗な絨毯が敷かれている。宗教施設(shè)であるが、観光スポットでもある。実際、大勢(shì)の人が見學(xué)しており、モスクのスタッフの若者はとても活気がある。英語(yǔ)?中國(guó)語(yǔ)?日本語(yǔ)?韓國(guó)語(yǔ)などの言語(yǔ)で客に挨拶する。私は思わず聲をかけ、中國(guó)語(yǔ)と日本語(yǔ)で交流した。數(shù)十年前、彼の祖父は海を超え、中國(guó)大陸からシンガポールにやってきた。両親はシンガポール生まれで彼もシンガポール人である。彼はNHKの朝ドラが好きで、日本語(yǔ)を獨(dú)學(xué)で勉強(qiáng)し、今はネットでドラマ「べっぴんさん」を観ているという。
サルタン?モスクには、一冊(cè)の日本語(yǔ)の案內(nèi)ファイルが置いてある。その中に、日本各地のモスクの名前?住所?連絡(luò)先などが書かれている。私は日本に多くのモスクが存在することを知らなかった?!袱胜激长韦瑜Δ嗜毡菊Z(yǔ)冊(cè)子を作ったのか」と聞くと、彼は「ここに來るのは日本人観光客が一番多いと思います。日本のモスクにも足を運(yùn)んでほしい。我々イスラム教徒はすべての宗教を尊重しており、イスラム教は心の広い宗教であることを知ってほしい」と語(yǔ)った。その言葉に感心した。人々は異なる宗教と信仰を持つが、異なる宗教は人間同士のわだかまりではない。宗教は包容力を育むはずである。
私はシンガポールのチャイナタウン、アラブ?ストリート、リトル?インディアなどを巡った。
それぞれの民族にはそれぞれの歴史博物館があって、歴史資料を陳列するだけではなく、同時(shí)にその民族の歴史と文化を次世代に伝えようとするところである。マレー伝統(tǒng)文化館にはマレー文化に関する講座が毎月開催され、大人向けものはほとんど有料で、子供向け文化體験コースはほぼ無料である。
チャイナタウンでは中國(guó)各地の名物料理が堪能できる。チャイナタウンの「春節(jié)」(舊正月)には正真正銘な中國(guó)伝統(tǒng)文化が味わえる、と現(xiàn)地のシンガポール人が自慢げに話した。チャイナタウンの広場(chǎng)で、中國(guó)の公園でよく見る風(fēng)景を目にした。二人のお年寄りが象棋(シャンチー。將棋)で対局していた。周りには數(shù)人のお年寄りが立って観戦する。対局中にも関わらず彼らは時(shí)々笑ったり、助言したりしている…本當(dāng)は「ルール違反」であるが、誰も気にしていないようだ。仲間たちの絆を深める一種の娯楽である。
リトル?インディアに入ると、あたかも真のインドにいると錯(cuò)覚するほど。人々の服飾?言語(yǔ)、店頭の商品、街の雰囲気からは完全に異國(guó)情緒を感じ取ることができる。
異國(guó)で暮らす人々は常に「郷に入っては郷に従え」という意識(shí)を求められる。従うべきもの、現(xiàn)地の生活や文化に馴染まなければならない部分があるのはもちろんだが、しかし、従えないものもあるはず。例えば、食文化?服飾など、ましてや宗教?信仰、DNAから導(dǎo)き出されるとでも言うべきものは簡(jiǎn)単に変えられないのである。肌の色が違う人々は自分のありのままでいい。小さな國(guó)の中でもチャイナタウンとリトル?インディアのような獨(dú)特な「城」を作ればいいのだ。
私は賑やかな街ブギスの紀(jì)伊國(guó)屋書店で、シンガポールの人気漫畫「私たちの物語(yǔ)」を買った。その「物語(yǔ)」は60、70年代のある家庭のストーリーを通して、シンガポールが貧しい小國(guó)から先進(jìn)國(guó)の仲間入りを果たしたという奇跡を描いている。発展の過程で、各民族の関係は決して順風(fēng)満帆ではなかった。
1964年7月21日、ムハンマドの生誕を祝うマレー人と華人が衝突し暴動(dòng)となった。その後、シンガポール政府が7月21日を「民族融和の日」と定め、毎年、その日に、各民族の人が他民族の文化と習(xí)慣を?qū)Wぶ?,F(xiàn)在、誰も他民族の「城」でデモをしたり、他民族の人を憎んだりはしない。いろんな「城」が國(guó)の多元文化を築いてきた。
移民問題は既にグローバルになりつつある。たとえ國(guó)境を簡(jiǎn)単に越えることができたとしても、人々は互いの相違を忘れずに、そして、相手の習(xí)慣を尊重?理解した上で、友達(dá)になろう。
日本は、まだ移民問題を抱えていないようである。だが、外國(guó)人は年々増加傾向にある。これからも日本人と「外人」、在日外國(guó)人の皆が仲よく暮らせることを祈らずにいられない。
余談だが、11月27日、私は駒沢大學(xué)にて臺(tái)灣大學(xué)客家研究センター及び國(guó)際アジア文化學(xué)會(huì)、日本國(guó)際客家文化協(xié)會(huì)など日本の団體が主催する「客家と多元文化 國(guó)際交流座談會(huì)2016」に參加した。臺(tái)灣、香港、日本の學(xué)者たちが日本文化と客家文化などをテーマに議論した。
「政治は一時(shí)的なもの。文化は永続的なもの」、それは皆の共通認(rèn)識(shí)である。數(shù)人の日本人學(xué)者は周りを驚かせるほど中國(guó)語(yǔ)が達(dá)者で、熱心に華人文化、客家文化などの研究に取り組んでいる日本人學(xué)者の姿にも感銘を受けた。日本も、共存共栄の多元文化が煌々(こうこう)と輝く「多元社會(huì)」になってほしい。
■筆者プロフィール:黃 文葦
在日中國(guó)人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ?、両國(guó)のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場(chǎng)を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任?,F(xiàn)在、教育?社會(huì)?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來日以降、中國(guó)語(yǔ)と日本語(yǔ)の言語(yǔ)で執(zhí)筆すること及び両國(guó)の「真実」を相手國(guó)に伝えることを模索している。
在日中國(guó)人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ?、両國(guó)のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場(chǎng)を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任?,F(xiàn)在、教育?社會(huì)?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來日以降、中國(guó)語(yǔ)と日本語(yǔ)の言語(yǔ)で執(zhí)筆すること及び両國(guó)の「真実」を相手國(guó)に伝えることを模索している。Facebookはこちら「黃文葦の日中楽話」の登録はこちらから
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