大阪の中國(guó)料理店、「日本語(yǔ)大好き」の店主が伝える中國(guó)文化―中國(guó)紙

人民網(wǎng)日本語(yǔ)版    2016年12月10日(土) 12時(shí)20分

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大阪泉佐野市區(qū)に本格四川料理の店?蘭梅(ランメイ)がある。そこの主人である李建華さんは出身地である重慶方言を話し、重慶の人らしい性格で、重慶風(fēng)の味付けの料理を提供している。

大阪泉佐野市區(qū)に本格四川料理の店?蘭梅(ランメイ)がある。そこの主人である李建華さんは出身地である重慶方言を話し、重慶の人らしい性格で、重慶風(fēng)の味付けの料理を提供している。中國(guó)の伝統(tǒng)楽器?二胡(にこ)の演奏を店內(nèi)で日本人客に披露するなど、行動(dòng)で故郷への愛著を示し、故郷を応援している?!缸鎳?guó)を離れると故郷にもっと注目し、好きになる。日本人の客も僕たちを通して中國(guó)を知り、理解してくれるかもしれない」と李さん。(文:楊野。重慶晨報(bào)掲載)

●中國(guó)にいるかのような雰囲気に浸れる店內(nèi)

毎日夕方になると、「蘭梅」の店內(nèi)からは、二胡の音が聞こえてくる。演奏される中國(guó)の曲から奏でられるのは、李さんの故郷に対する愛著。その熱い思いは、李さんの生活の隅々から表れており、「蘭梅」の店內(nèi)には、伝統(tǒng)工蕓?中國(guó)結(jié)び、漢字が書かれた屏風(fēng)(びょうぶ)、重慶から仕入れたテーブル、イスなど、中國(guó)の要素があふれている。このような中國(guó)にいるかのような気分にさせられる店內(nèi)で二胡の音が流れ、來(lái)る客一人ひとりがその雰囲気を楽しんでいる。

2000年、日本で重慶同郷會(huì)が立ち上げられ、李建華さんが會(huì)長(zhǎng)に就任。その後、大阪に移った李さんは、関西華僑華人西南同郷會(huì)の會(huì)長(zhǎng)を何度も務(wù)めた。これまで、李さんは幾度も、日本人を集めて、重慶を訪問(wèn)、視察してきた。また、日本の教育界の関係者が自身の母校である清華中學(xué)(中高一貫校)を視察できるよう手配したり、貧しい學(xué)生を援助したり、中日文化交流を推進(jìn)したりしてきた。

08年に四川大地震が発生し、李さんは先頭に立って、地元の國(guó)際文化交流機(jī)構(gòu)と共同で、チャリティイベントを行った?!弗ぅ佶螗趣摔盲抠M(fèi)用以外の殘ったお金で、プロジェクターや卓球臺(tái)、桜の木などを購(gòu)入して、重慶で被災(zāi)した小學(xué)校3校に贈(zèng)った」と李さん。

●大好きな日本語(yǔ)を勉強(qiáng)して通訳に

昔から日本語(yǔ)がずっと好きだったという李さんは、仕事の合間を見つけ日本語(yǔ)を獨(dú)學(xué)で勉強(qiáng)し始めた。その後、日本の華僑に習(xí)い、その華僑が帰國(guó)してからも、重慶市少年宮の日本語(yǔ)クラスで4年間勉強(qiáng)した。このように、李さんにとっては、日本語(yǔ)が生活の中で重要な位置を占めるようになった。

その後、李さんは働きながら、広播電視大學(xué)で経済管理を?qū)Wび、さらに日本語(yǔ)の勉強(qiáng)も続けた。1983年、重慶のある無(wú)線通信機(jī)器メーカーがカラーテレビの生産ラインを?qū)毪?、それを設(shè)置するために日本から技術(shù)者が數(shù)十人やって來(lái)た。當(dāng)時(shí)、重慶には日本語(yǔ)が話せる中國(guó)人があまりおらず、紹介を経て、李さんが通訳を擔(dān)當(dāng)するようになった。通訳をそつなくこなしたため、通訳の仕事があると、多くの人が李さんと連絡(luò)を取るようになった。88年、李さんは、中國(guó)科學(xué)技術(shù)協(xié)會(huì)から、日本の山梨県の染色工場(chǎng)での実習(xí)に派遣された。

1年後、実習(xí)を終えた李さんは、重慶紡績(jī)工業(yè)研究所にあった日本語(yǔ)グループのグループ長(zhǎng)として働くようになった。

●夢(mèng)実現(xiàn)させるためにはるばる日本へ

中國(guó)で経済発展が早かった広東省や深センに移動(dòng)して起業(yè)するのがブームとなっていた92年、多くの外資系企業(yè)が深センで資金を投じて工場(chǎng)を建設(shè)していた。李さんは、深センなら、得意な日本語(yǔ)を生かせる仕事があると考えた。

南方地方で6年働き、日本で働いている友人に何度も日本で働くことを誘われるようになっていた李さんは、妻と相談し、夢(mèng)を求めて98年に日本に引っ越した。そして、李さんはある鋼鉄関係の會(huì)社で働き、妻は壽司屋でアルバイトを始めた。

「経験がなく、初めは大変だった」と李さん。8年奮闘して、生活がようやく落ち著き始めたものの、出費(fèi)は膨らむばかりで、二人は夢(mèng)を?qū)g現(xiàn)させるために動(dòng)き始めた?!钙蓼狭侠恧靡狻%ⅴ毳啸ぅ趣洗髩浃胜韦?、中華料理店を開くことにした」と李さん。

06年6月10日、李さんの妻の名にちなんで名付けられた中華料理店「蘭梅」がオープン。妻は日本語(yǔ)がほとんど話せないにも関わらず、料理を作って、接客もこなしたりと、とても忙しくしていたため、李さんは思い切って仕事を辭めて、妻と一緒に中華料理店を切り盛りするようになった。このように、李さんは夫婦で一緒に仕事に奮闘するようになった。

少しずつ客が増えても、李さんは初心を忘れず、「この店で中國(guó)文化を伝えよう」と決めた。李さんの妻は、日本語(yǔ)は苦手でも、古箏(こそう)や伝統(tǒng)演劇?川劇の瞬時(shí)に瞼譜(隈?。─驂浃à爰记?変臉(へんれん)が得意。李さんは、「自分たちの行動(dòng)で、これからも多くの人に中國(guó)文化を伝えたい」と語(yǔ)った。 (提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集KN)

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