臺灣は日清戦爭での血と涙を忘れるべきではない―中國メディア

Record China    2016年12月21日(水) 14時0分

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20日、中國臺灣網(wǎng)が、臺灣は日清戦爭での血と涙を忘れるべきではなく、あくまでも祖國は中國大陸だとする寄稿文を掲載した。これに対し、中國のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。資料寫真。

2016年12月20日、中國臺灣網(wǎng)が、臺灣は日清戦爭での血と涙を忘れるべきではなく、あくまでも祖國は中國大陸だとする寄稿文を掲載した。

寄稿者の且十氏は、大阪の真田山陸軍墓地には日清戦爭で日本軍の捕虜となり、その後日本で病死するなどしたため日本に埋葬された6人の清國兵士について紹介。うち5人の墓は帰れなかった祖國の方を向いているが、1人の墓は捕虜となった屈辱ゆえに「祖國に顔向けできない」として背を向けているという。

その上で且十氏は、「122年前の日清戦爭は中華民族にとって最も悲慘な1ページだった」と表現(xiàn)。この時から中國は列強に割譲され、特に臺灣が中國大陸から引き離されてしまったと嘆いた。

しかし、日清戦爭後に臺灣が日本の植民地となったことで、「祖國を恨み、祖先を否定するのは間違っている」と主張。臺灣の悲劇は中國近代史の悲慘な歴史の一部であり、中國がじゅうりんされた縮図なのだとした。

且十氏によると、実際のところ「臺灣は祖國に捨てられたわけではない」という。日本が植民地支配を開始する前から、清國は臺灣に多くの私塾や書院を開いており、中國大陸の他の省に劣らない完全な教育システムができていたと指摘、清國は臺灣を重視していたとした。

しかし臺灣では、日本による植民地支配の期間を臺灣史における輝かしい期間とする向きもある。且十氏は、こうした人々は日本人が「植民地支配に抵抗した3萬2000人以上の臺灣人」や「8分の1もの原住民」を虐殺したことには觸れないと批判。日臺は夫婦のような関係だと表現(xiàn)する人もいるが、実際のところ日本にとっての臺灣は妻どころかめかけにも値しない存在であり、沖ノ鳥島の件や日本食品の輸入規(guī)制緩和の件を見ればそれは明らかだと主張した。

結(jié)論として且十氏は、「臺灣の悲劇は日清戦爭から始まっており、日本による植民地支配が元兇だ」と主張。したがって臺灣が恨むべきなのは、臺灣を捨てた中國大陸ではなく「日清戦爭で流された血と涙」であるとし、臺灣は真田山陸軍墓地に埋葬された清の兵士のように、中國大陸の方向に目を向けるべきだと結(jié)んだ。(翻訳?編集/山中)

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