石川希理 2020年3月11日(水) 23時20分
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築造物などの文化財に関して、日本と中國では、大きな違いがあるようだ。寫真は故宮。
築造物などの文化財に関して、日本と中國では、大きな違いがあるようだ。
我が國では古くは、ユネスコ世界文化遺産である大仙陵(大山)古墳(仁徳天皇陵といわれる)がある。こういうものは中國でも、殷墟や秦の始皇帝陵などが見られる。始皇帝の兵馬俑では8000體の「俑」があるという。このスケールに圧倒される。
殷墟は紀元前1000年ごろ以前、秦の始皇帝も紀元前だから、その歴史的な時間は長大だ。日本の大仙陵古墳は、世界でも珍しい「前方後円墳」といわれる大規(guī)模な陵墓だが、5世紀頃のものである。
ただ、皇帝などの力による巨大な造築物はともかく、中國では、民家や街並みなどは、保存されていない。恐らく、異民族の絶え間ない侵入、破壊、建設の繰り返しのせいでもあるのだろう。
我が國と関わりの深い隨?唐の後は、遼?金?元が異民族。そして「明」を挾んでまた異民族の「清」と支配が続く。唐は618年-907年の間続く。894年に日本は遣唐使を廃止している。受験で暗記した方も多いだろう。
その後、異民族の國家が続くので、巨大な建物は殘っているが、その保存もままならない狀況が続いた。また生活空間は激変したので、街並みなどは消失している。
中國の方が日本旅行に來て、京都に、唐の都、長安、或いは洛陽などの面影を見出すのは、その事情がある。
我が國の古都、京都も応仁の亂などで焼け野が原になったが、その後は寺社も復興し、往時に近くなっている。また第二次大戦で、アメリカ軍に激しい焼夷弾攻撃を受けなかったことが幸いしているのかも知れない。
因みに焼夷弾は、油脂を詰めた爆弾で、爆発で破壊するのではなく、日本の木造家屋を効率よく燃やすために造られたものだ。油脂なので消しにくい。この系統(tǒng)の兵器は現(xiàn)在は禁止されている。
さて、京都の古い街並みの保存は「千年の都」と言われるように、國の支配者は変わっても、変わることのなかった天皇という存在が大きいのかも知れない。
京都は、唐の都を左京と右京に模したと言われるので、中國の人が來ると「なるほど昔の面影がある」と感じられるのであろう。
中國は、17世紀に満州族が建國した「清」が20世紀初頭までを支配している。その後は「中華民國」と続くが、清の後半から第二次大戦までは、歐米諸國の侵略、日本の侵略と、半ば植民地化され、騒亂の時代である。
例えば、清の故宮(紫禁城)は故宮博物院として観光地である。その規(guī)模の大きさは凄い。訪問すると『ラストエンペラー』などの映畫の場面が浮かんでも來る。私が訪問した感じは「灰色の巨大な平坦な建物群」という印象であった。
この故宮には、いわゆる寶物は少ない。これは第二次大戦からの內(nèi)戦で、國民黨政権が臺灣に逃れた。その時に運ばれたからである。その結(jié)果、臺灣にも「故宮」があり、展示されている。
一方、我が國の「姫路城」はどうだろうか。私は、故郷が神戸で、姫路は比較的近い。60年前の小學生時代には遠足で行っている。昭和の大修理にも、平成の大修理にも出會っている。天守まで數(shù)度は登っている。
白鷺城と呼ぶが、その聳え立つ姿は美しい。もちろん築城には各地の大名や多くの人々の血と汗が必要だが、古代はともかく日本の國として成立すると大陸のように、奴隷的な苦役は見られない。人々の怨嗟の対象ではない。
姫路城は江戸時代初期に造られたものであるが、その前後には全國にも多數(shù)「城郭」は見られる。一部、大阪城のように鉄筋コンクリートで造り直されたものもあるが、400年以前の木造の建物が殘っているのが凄い。遡って、正倉院や平等院、各地の寺社となると夥しいであろう。
姫路城だけが焼け野原の中にポツンと屹立している寫真が、インターネット上にあげられているので、興味ある方は検索してみて欲しい。焼け殘ったのは、第二次大戦末期のアメリカのB29による爆撃の時、焼夷弾が不発だったり、米軍の目標になっていなかったりして助かったという。姫路城は、黒いロープネットで目隠ししていたという話もある。因みに、姫路城より巨大だった名古屋城は燃え落ちている。殘そうという努力も大変なものだった。
それにしても、數(shù)多い地震や臺風などを考えると、消えてしまっていてもいい気がする。しかし、この後も、たぶん我々はそれを維持し続けていくように思う。木材という骨格は回復しやすいのかも知れない。そういう要素を考えても、日本という我々の母國は、建造物、また精神性から見ても、世界的には希な文明圏なのだ。
■筆者プロフィール:石川希理
1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小學校?飛松中學校?星陵高校?神戸學院大學?仏教大學卒です。同窓生いるかな?小説?童話の創(chuàng)作と、善く死ぬために仏教の勉強と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文蕓祭りの選者(それぞれ隨筆と児童文學)をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時折友人達などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時折禁酒(笑)。中學教員から県や市の教育行政職、大學の準教授?非常勤講師などをしてきました。児童文學のアンソロジー単行本數(shù)冊。小説の自家版文庫本など?!竿捊}本の読み方とか、子どもへの與え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想?仏教」などの講演會をしてきました。 ブログはこちら
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