立石信雄 2017年1月15日(日) 14時0分
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米國へ本格的な進出をしたころ、シカゴ?シアーズタワーの53階にオフィスを構えていた。トイレに座っていると、「キリキリキリ。キリキリキリ」とビルの軋む音がする。ミシガン湖からの強烈な風に煽られて一生懸命こらえているのであろう。
米國へ本格的な進出をしたころ、シカゴ?シアーズタワーの53階にオフィスを構えていた。シアーズタワーは高さ500メートル、113階建ての當時世界一の高さを誇っていたビルで、部屋はちょうどその中間にあたる?!?/p>
夜遅くまで仕事をしていると靜寂そのもの。こういう時にホールにあるトイレに座っていると、「キリキリキリ。キリキリキリ」とビルの軋む音がする。ミシガン湖からの強烈な風に煽られて一生懸命こらえているのであろう。その音がまるでビルの泣き聲に聞こえ、不気味たった。
長年海外を飛び回っていると多くの経験をする。今でも生きているのが不思議に思える。
フランクフルト空港で著地と同時にパンク。ジグザグしながらやっとストップ?;呗筏松咝肖筏骏`ブの跡。ロンドンーパリ間では雷に打たれ「ドカン」という凄い音。著陸して機外に出ると先端のカバーが無く、計器類がまる見え。
シカゴの一流ホテルでは眠っている間に盜みに入られて金銭をそっくり。出迎えの社員の運転で、アメリカのハイウエーを逆進入するや否や、前方から大型トレーラーが迫ってくる。ああこれ運も実力のうちでこの世ともおさらばという瞬間、見事にかわしてくれ、一命をとりとめた?;扭皮栖嚖蚵芳绀酥工?、タイヤから煙をはきながら蛇行して遠ざかる姿に手を合わせて感謝。一瞬垣間見た運転手の凄い形相が今でも瞼に焼き付いている。等々枚挙にいとまがない。
これだけ死に損なうとそろそろ運も盡きるのではと心配になるが、「運も実力のうち」と開き直っている。このように長年にわたり私以上に多くの危険な経験をしながら日本のビジネスマンは開拓の努力をし、やっと今日の地歩を固めてきたのである。
立石信雄(たていし?のぶお) 1936年大阪府生まれ。1959年同志社大學卒業(yè)後、立石電機販売に入社。1962年米國コロンビア大學大學院に留學。1965年立石電機(現(xiàn)オムロン株式會社)取締役。1995年代表取締役會長。2003年相談役。 日本経団連?國際労働委員會委員長、海外事業(yè)活動関連協(xié)議會(CBCC)會長、財務省?財政制度等審議會委員等歴任。
北京大學日本研究センター顧問、南開大學(天津)顧問教授、中山大學(広州)華南大學日本研究所顧問、上海交通大學顧問教授、復旦大學顧問教授。中國の20以上の大學で講演している。
■筆者プロフィール:立石信雄
1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現(xiàn)オムロン株式會社)取締役。1995年代表取締役會長。2003年相談役。 日本経団連?國際労働委員長、海外事業(yè)活動関連協(xié)議會(CBCC)會長など歴任?!弗蕙庭弗幞螗趣?a target='_blank' href='http://www.wenhuatang.com/search.php?filter=ノーベル賞'>ノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名譽文化博士。中國?北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協(xié)會)名譽會長。エッセイスト。
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