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たとえ成熟して安定した社會(huì)の中でも、イノベーションを起こしたり、起業(yè)する人がおり、彼らは大きな集団を抜け出したいという理由から自分の個(gè)性にあったポジションを選ぶのだ。資料寫真。
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たとえ成熟して安定した社會(huì)の中でも、イノベーションを起こしたり、起業(yè)する人がおり、彼らは大きな集団を抜け出したいという理由から自分の個(gè)性にあったポジションを選ぶのだ。(文:李勝博。中國(guó)青年報(bào)掲載)
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サキさんは私が日本で知り合った友達(dá)だ。彼女は恵まれた教育環(huán)境で育ち、海外で仕事の経験もあり、3、4種類の言語(yǔ)を話すことができる?,F(xiàn)在は島根県津和野町というあまり聞いたことも無(wú)いような小さな町で働いている。そんな彼女が參加するプロジェクトは大都市のハイエンド人材を農(nóng)村に派遣するというものだ。
津和野町に來(lái)た初日、私はサキさんと一緒に食事をした。その席で私は取り箸を使わず、自分の箸をそのまま使っていた。そんな私にサキさんは、「日本では他の人と一緒に食事をするときに目上の人がいた場(chǎng)合、その人を敬い、禮儀正しく振る舞う必要がある。また、取り箸がない場(chǎng)合、後輩は自分の箸の持つ側(cè)で料理を取るのがいい」と教えてくれた。同時(shí)に彼女は、「私たちのような若い世代で、特に二人だけのような場(chǎng)合は、別に気にしなくても大丈夫」と優(yōu)しく付け加えた。
サキさんの言葉を聞いて、私はやや恥ずかしく感じた。日本では私は知らないうちに他人に迷惑をかけないようにいつも気を配っている。ある時(shí)、地下鉄に乗っていて車両がとても混雑しており、ある人が下車するときに私は少し押されてしまった。そのときに私は自分の周りにいる人全員が鞄を背負(fù)わず、床に置いたり、脇に挾んだり、手に提げていることにふと気づいた。改めて思い直してみると、鞄を背負(fù)っていると他の人にぶつかりやすい。これが日本では地下鉄に乗るときのルールかどうかわからなかったが、私はひそかに鞄を降ろし、両足の間に置いた。
私が観察した限りでは、日本人は特にルールを守ることを心がけており、全ての人が自分の抽象的な領(lǐng)域のようなものを持っているように感じる。これは個(gè)人のポジションによって異なり、年齢や職業(yè)、性別の違いによって決まるもののようだ。それぞれのポジションで対応できる限界が異なり、その領(lǐng)域內(nèi)では、日本人の職務(wù)上の責(zé)任が明確化されていて、目上の人を敬う縦社會(huì)になっている。その領(lǐng)域の外では、本分を超えた行動(dòng)をとったり、他人の機(jī)嫌を損ねてはならず、往々にして他の人と同じようにすることが大事となる。
「君たち日本人はルール?yún)検丐胜螭坤汀工去单丹螭衰幞氓哗`ジを送ると、サキさんは、「中國(guó)の食卓でも同じようなルールがあるの?」と質(zhì)問(wèn)してきた。そこで私は、「あるにはあるけど、普通の人はあまり気にしないよ」と返答した。
このことが原因で、私は「ルール」に対して複雑な思いを抱くようになった。「ルールを守るべきか」についてもよく考えるようになった。
いかなる國(guó)、社會(huì)、民族、ひいては個(gè)人においても、自分なりのルールが存在する。しかし、大半のルールはその集団の「年長(zhǎng)者」が決めたものだ。年長(zhǎng)者が集団全體の価値観の方向性を決定し、年少者に何が正しくて、何が間違っており、どのようにすれば自分たちと同じでいられるかを教える。しかし、ルールを設(shè)定した「年長(zhǎng)者」は結(jié)局のところは少數(shù)で、ルールが正確かどうかをチェックするのには時(shí)間がかかる。どちらかというと、矛盾した常識(shí)のルールは往々にしてすぐになくなる。
全てのポジションにはそれに対応するルールが存在する。社會(huì)人には社會(huì)人の、若者には若者の、學(xué)生には學(xué)生の、中國(guó)人には中國(guó)人の、日本人には日本人のルールがある。ルールとは製品の説明書のようなもので、全ての人がそれぞれのポジションを効果的に活用し、相応の生活に溶け込み、全ての集団が調(diào)和的に発展するのをサポートする。
人々が自分のポジションを選択する場(chǎng)合、時(shí)として不自由を感じる。これは、人々は時(shí)として自分が納得できないルールを守らざるを得ないことを意味している。暗黙のルールを受け入れたくない、創(chuàng)造力をもっと発揮したい、大きな自由をつかみ取りたいなどの不安定な思考が人間の遺伝子の中にずっと存在しているようだ。たとえ成熟して安定した社會(huì)の中でも、イノベーションを起こしたり、起業(yè)する人がおり、彼らは大きな集団を抜け出したいという理由で自分の個(gè)性にあったポジションにいることを選ぶ。
目の前にある日本の農(nóng)村の津和野町には大都市から來(lái)た高學(xué)歴の若者も多く住んでいる。私は、彼らが実は「ルール?yún)検亍工趣いΕ骏ぅ驻扦悉胜い长趣摔栅葰荬扭い?。彼らは、日本社?huì)全體の調(diào)和を取るようにする制度に反対というわけではなく、自分たちが「都會(huì)人」というポジションを無(wú)理やり押し付けられることに反対しているのだ。そこで、彼らは大都市というレールから抜け出し、農(nóng)村にやって來(lái)て、農(nóng)業(yè)に従事する、料理を作る、カフェを開く、文化イベントや音楽パーティーを行うなどの方法で、大きな空間の中で自分のポジションをはっきりさせ、自分なりのルールを作っているのだ。(提供/人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?編集YK)
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