ソウルで日本統(tǒng)治時代のマークが付いたマンホールふた初めて発見、近代化の貴重な史料=韓國ネット「いまだにこんなものが殘っていたとは恥ずかしい」

Record China    2017年12月13日(水) 10時30分

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12日、韓國?ファイナンシャルニュースによると、日本統(tǒng)治時代に製作されたとみられるマンホールのふたが、同紙取材陣により韓國?ソウルの路上で初めて見つかった。寫真はソウル。

2017年12月12日、韓國?ファイナンシャルニュースによると、日本統(tǒng)治時代に製作されたとみられるマンホールのふたが、同紙取材陣により韓國?ソウルの路上で初めて見つかり、韓國の歴史學(xué)界で注目を集めている。

記事によると、ソウル市龍山(ヨンサン)區(qū)內(nèi)のマンホール2カ所のふたに、1926年11月から47年4月1日まで使用された京城府第2期のマークが付いていることが確認(rèn)された。京城府から現(xiàn)在のソウル市に至るまで街のマークは4種制定されているが、第1期(18年8月制定)と2期のマークが付いた遺物はこれまで見つかっていなかった。第2期のマークは483人が応募した932點の作品の中から選ばれたもので、當(dāng)時京城に住んでいた日本人の考案であることが、當(dāng)時の東亜日報の報道で確認(rèn)できるという。

今回見つかったマンホールのふたは、當(dāng)時の水道技術(shù)やソウルの水道の歴史をひもとく貴重な史料としても価値が認(rèn)められる。當(dāng)時の排水管敷設(shè)図と今回の発見位置を照らし合わせた結(jié)果、京城の水道拡張事業(yè)3期に當(dāng)たる1936?45年に敷かれた水道に設(shè)置されたものと推定される。當(dāng)時設(shè)置され現(xiàn)在も殘るソウルの地下排水路が近年相次いで市の文化財に登録されたこともあり、龍山區(qū)は今回のマンホールふた2枚について、ソウル市記念物に登録を進(jìn)める計畫としている。

郷土史學(xué)者のキム?チョンス氏は「これまで近代文化遺跡はその価値を認(rèn)められずほとんど放置されてきた。いつまでつらい歴史だからと放っておくのか」と述べ、今回の発見と意味と文化財としての活用の重要性を説いたが、韓國のネットユーザーからは「つらい歴史の名殘じゃないか」「日本人がデザインしたものを文化財にするなんて、親日派か?」「日帝殘滓(ざんし)がいまだに殘っていたなんて恥ずかしい限り」と反論が多く上がり、「そんなものは捨ててしまえ」と強(qiáng)硬論も少なくない。

一方で、価値が高いと知られたために「そのうち盜まれると思う」とする聲も多數(shù)。また近代化の史料としての意義を認(rèn)め「日本が近代化をしてくれたんだね」「あの時代に上下水道をきちんと管理してくれたのはすごいことだ」といった聲もあったが、これには反対意見も複數(shù)入っていた。(翻訳?編集/吉金

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