<中國人観光客が見た日本>同じ仏教でもこんなに違う!高野山で感じた真の清らかさと安らぎ

Record China    2017年2月8日(水) 15時50分

拡大

1日、中國のネット上に、高野山で感じた日中の仏教の違いについてつづった文章が掲載された。

(1 / 3 枚)

2017年2月1日、中國のネット上に、高野山で感じた日中の仏教の違いについてつづった文章が掲載された。

その他の寫真

雪が降った後の高野山はとても美しく世俗を忘れさせる。特に冬は旅行者もさらに少なくなり、清らかな真の仏の國のようだ。高野山に來る前、私は自分の経験から高野山のイメージを描くようにした結(jié)果、中國の五臺山のようなところだと思っていた。ところが、実際に來てみると自分の描いていたイメージに笑ってしまった。五臺山は仏教で世俗の歓心を買うところだが、ここは仏の國が持つ清浄さと安らかさがある。道のあちこちで僧が往來し、浮世で生きつつも威厳があるのだ!この僧たちはすれ違う時も遠くから見た時も、靜水のように清らかで落ち著いていた。

この日の午後の目標は、一の橋を起點にして表參道から高野山の開山祖師である弘法大師御廟に通じる奧之院まで行くことだ。わずか2キロの道のりなのに、私たちは日暮れになっても歩き続けることになるとは思いもしなかった。この道は、これまでにないほど興味深くも想像できない、そして觸れることのなかった世界を開くものだからであり、この世界が真の意味で目の前に現(xiàn)れた時に、生命に対するより深い悟りを得ることができるのだ。

資料によれば、古い木が並ぶこの道の両側(cè)には、墓石、祈禱碑、慰霊石が20萬基以上置かれており、これらの石碑にはよく知る古代の日本人の名前が刻まれているという。武田信玄、俳諧師の芭蕉などで、さらに多くの知らない名前もある。ひっそりとこの世に生を受け、そしてひっそりとこの世を去っていった人たちの名前が石碑に刻まれており、これがこの世界に殘した最後の印なのだ。

石碑に刻まれた蕓術(shù)的な文字から、時代が変化しつつも千數(shù)百年も変わらない、日本人のこの古道に対する特別な感情を見ることができる。それは、日本人はみんな命が終わる時にこの道の両側(cè)のどこかに落ち著くことが完璧な人生だと考えているかもしれないということだ。死は私たちの文化では一種のタブーになっており、人々は不吉な話題を避け、生を喜びとして死を悪とすることが代々受け継がれている。しかし、見なければ存在することになるのだろうか?。死を逃避したら私たちの愛する人がこの世を去ることはないのだろうか?。逃避できないのであれば平然と向き合った方がいい。

參道に行ってきた人たちからは、この道は陰気臭いとよく聞く。でも私はそんな感じは少しもしなかった。生と死はもともと表裏一體であり、その間に深い谷など存在しないのだ。だから死と向き合うことを恐れる必要などあるだろうか?この道は、この世とあの世の境目だが、一刀両斷に分けるものではなく、2種類の命の形が一つに溶けて集まる所なのだ。この道はこの世とあの世の家族が集まる所であり、それは川であって壁ではない。本當の意味で一緒になるとは、毎日寄り添い合うことや手を取り相手を見つめることとは限らず、相手がどこにいるかを知っており、相手も自分のことを気にかけていることを知っているだけで十分ではないだろうか?

石碑に刻まれた名前は、家族の心にも刻まれ永遠に忘れられることはない。あの長く続く燈はあの世の家族へ送る燈だとも理解できるが、でも私はあの燈はこの世とあの世の雙方が互いに気にかけている気持ちなのだと信じたい。石碑の數(shù)だけ記憶があり、燈の數(shù)だけ思いがある。思いさえすれば存在するのであり、死も家族を隔てるものとはなれないのだ。(翻訳?編集/山中)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China?記事へのご意見?お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業(yè)務(wù)提攜

Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問い合わせはこちら

業(yè)務(wù)提攜