石川希理 2020年5月5日(火) 21時(shí)10分
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韓國(guó)の中國(guó)との関係は、アメリカの力が落ちつつあるいま、ますます強(qiáng)くなると思われる。地続きだけに、獨(dú)立したポジションを取る日本とは違った圧力がある。寫真は中國(guó)の習(xí)近平國(guó)家主席が訪れたソウル大學(xué)図書館。
藤原正彥さんが、月刊文藝春秋のコラムで、韓國(guó)について述べていた。要旨は「長(zhǎng)い歴史の中で、冊(cè)封體制の中に組み込まれていた韓國(guó)は、中國(guó)の第一の子分であった(小中華)。ところが、日本が急速に成長(zhǎng)して、中國(guó)と互角に渡り合うようになる。すると第一の子分は中國(guó)からも軽く扱われ、他の子分からも軽視されることになる。それが、日本憎しにつながる」という內(nèi)容だ。
因みに冊(cè)封體制とは、冊(cè)書「皇帝の命令書の一種を以て封爵を授けること。漢代に始まる」[広辭苑第7版]をもって、朝貢してきた國(guó)を、子分にする中國(guó)と周辺諸國(guó)の関係だ。日本は、歴史上、これには入っていないと言うより、入れてもらっていない。足利義満の時(shí)に「日本國(guó)王」という稱號(hào)をもらっているが、これは単なる貿(mào)易上の便利さと、義満の飾り稱號(hào)である。
入れてもらえないのは、このコラム欄でも觸れたが、確かに我が國(guó)は、朝鮮半島の先の「海中」の島國(guó)である。中國(guó)から見れば、命がけで海を渡らねば、たどり著けない野蠻人の國(guó)「倭國(guó)」は、ほとんど無(wú)視できる存在である。
韓國(guó)(朝鮮?以下同じ)から日本を見ても、中國(guó)から朝鮮半島を経て、海の中の対馬、そして九州へ行く、中國(guó)にも見捨てられている野蠻人の國(guó)である。
中國(guó)は朝貢して欲しいとも思わないし、子分にしようとも思わない。中國(guó)の第一の子分である韓國(guó)にとっても、ベトナムなど中國(guó)周辺の第二、第三…の子分よりはるかに下、どころか眼中にもない日本である。
さて、無(wú)視されていた我が國(guó)のことは置いておく。その韓國(guó)の中國(guó)との関係は、「子分と親分」、時(shí)にはいじめられっ子にいじめっ子である。これが2000年以上続いていたから、複雑なことはこの上ない。
「ふーん、中國(guó)みたいだな」
例えば、韓國(guó)の時(shí)代劇をチラリと見て、その服裝のイメージが中國(guó)を思い出させるのに驚いた。なにせ巨大な中國(guó)には逆らえない。これはよくわかる。氏名まで中國(guó)風(fēng)に、となった時(shí)代もある。
新型コロナの時(shí)は、韓國(guó)からの入國(guó)を制限した日本には、すぐ報(bào)復(fù)処置みたいな「日本からの入國(guó)制限」をした。ところが、それ以前に韓國(guó)からの入國(guó)制限をしていた中國(guó)には何も行動(dòng)していない。注目すべきは、その他の多くの國(guó)に対しても報(bào)復(fù)みたいなことはしていないのに、「日本だけ」特別扱いである?!袱ⅸ`あ」と少々、子どもじみた対応にうんざりして、溜息がポトリと落ちた。足で蹴飛ばしたが、単なる防疫処置である。
また脫線しつつある。元に戻って、中國(guó)と韓國(guó)の関係だ。ふと「貫頭衣だったな…」と思い出した。笑ってしまった。「貫頭衣」は布の真ん中に穴を開けて頭を出し、腰を縛る原始時(shí)代のスタイルだ。これに近いものが、日本では廄戸皇子(聖徳太子)から大化改新に至って、ほぼ漢服に替わる。ただ、遣唐使廃止以後は獨(dú)特の形態(tài)になる。江戸時(shí)代になると、チョンマゲから、武士?町人まで中國(guó)とは全く別物の服裝になる。
それに比して、韓國(guó)の韓服は、918年から1392年の高麗時(shí)代から、それに続き李氏朝鮮時(shí)代(1897年まで)、中國(guó)への朝貢?冊(cè)封関係により、元王朝?明王朝の漢服を模倣していた。約1000年間である。
また韓國(guó)では、15世紀(jì)半ばまで、固有の文字を持たず、知識(shí)層は漢字を使用していた。我が國(guó)、日本が6世紀(jì)頃から萬(wàn)葉仮名を用い、やがて、ひらがな?カタカナの使用に至るのと比べると、韓國(guó)が政治?経済?文化、総ての面で中國(guó)に縛られていたことがよくわかる。
そこにハングルが「日本のひらがな」のように現(xiàn)れる?!笣h字+ハングル」であれば、日本の「漢字+ひらがな+カタカナ」だが、これをやめてしまう。日本に併合されていた時(shí)代に和製漢語(yǔ)が多用されたために、第二次大戦後、反日の観點(diǎn)から漢字の使用をやめた。(和製漢語(yǔ)-明治時(shí)代以後近代化を進(jìn)めた日本は、歐米文明の用語(yǔ)を漢字熟語(yǔ)などに置き換えていった。)
因みに韓國(guó)でも10萬(wàn)部を超え、日本でも40萬(wàn)部を超えた、韓國(guó)人の複數(shù)の學(xué)者による『反日種族主義』を読むと、反日の観點(diǎn)がよくわかる?!悍慈辗N族主義』の単行本は読むのに骨が折れた。今年の4月に出た『反日種族主義と日本人』(文春新書)で、私には単行本の內(nèi)容と歴史的流れがよく判った。副読本とあるから、興味ある方は図書館で借りるなどして読まれるといいだろう。申し訳ないことだが、団塊の世代の私など、まったく隣國(guó)のことを知らなかった??陀Q性のある「正見」で、相手を?qū)Wび、將來(lái)の基盤としたいものだ。
さて、続ける。簡(jiǎn)単に誤解を恐れずに言うと、「長(zhǎng)い歴史の悪い點(diǎn)を総て日本の韓國(guó)併合に押し込めて起こったことにして」「悪いことは総て日本のせいと針小棒大化して」「なかったことまであったことにして」「教育でも徹底してそれを教え」、中國(guó)から見下され、日本に負(fù)けたことへの溜飲を下げた、のである。
因みに、韓國(guó)併合はいわゆる植民地支配とは異なる。但し、根底の意識(shí)の流れとしては日韓ともに支配者?被支配者という感情を持つだろう。この點(diǎn)は「臺(tái)灣」と著しく異なるが、その因についてはまた勉強(qiáng)したい。
ともあれ韓國(guó)には、2千年來(lái)の冊(cè)封體制、中國(guó)からの離脫という意識(shí)が、強(qiáng)く根底に潛んでいた。中國(guó)の漢字、ハングルの使用?中止、そして近代からは日本の影響と、韓國(guó)は文字においてだけでなく複雑な東アジア関係の中に陥ってしまう。
「韓國(guó)起源説」といって、まあ手當(dāng)たり次第と言っていいほど「起源は韓國(guó)だ」というのは有名だ?!溉毡菊Z(yǔ)は韓國(guó)起源」というのもある。その學(xué)術(shù)的根拠はないに等しいが、このあたりにも、「頭の上がらない中國(guó)」への卑下。「倭人と見下していたのにいつの間にか自國(guó)を侵略し」「戦後は先進(jìn)國(guó)になって世界から期待される日本」への嫉妬心がみてとれる。
韓國(guó)は近々20年ほどで、ソウルなどは近代都市に生まれ変わった。高層ビルが建ち並び、田舎はまだ少し遅れているとは言え、自信をつけた。だが、同じく高度成長(zhǎng)する巨大な龍、中國(guó)には屈服するしかない。韓國(guó)は、アジアの小竜(香港、シンガポール、韓國(guó)及び臺(tái)灣)4カ國(guó)の一つである。だが、成功を誇示すればするほど、背後の闇が忍び寄る恐怖がある。
韓國(guó)の統(tǒng)計(jì)庁によると、総人口は早ければ2019年の5165萬(wàn)人をピークに減少に転じる。高齢者の割合も2065年に46%に達(dá)し、日本を抜いてOECD(経済協(xié)力開発機(jī)構(gòu))のなかで首位になる。
無(wú)論、我が國(guó)は既に首位である。いま実質(zhì)的な移民政策に舵を切りつつある。高齢者や女性の社會(huì)進(jìn)出も計(jì)畫されている。そういったことが韓國(guó)にも背後から忍び寄っている。
さらに北朝鮮という不安定要因もある。もし、韓國(guó)の政治経済體制で統(tǒng)一されても、人口は増加するものの、その凄まじい貧困層の圧力は、ピークを過(guò)ぎつつある韓國(guó)には重荷である。
「なるほど、韓國(guó)の立場(chǎng)で見ると、何もかも日本に押しつけたくなるわなあ」
「不安なんだ」
「日本は、いままさに、経済の停滯などそうなんだけれど、なんとなく落ち著いているなあ」
「國(guó)民性だろう」
「流れる水の如く、みんなで我慢して頑張ろうか…」
「そう。少なくともナッツ姫みたいなことは極めて少ないしね」
と、おもう。
韓國(guó)の中國(guó)との関係は、アメリカの力が落ちつつあるいま、ますます強(qiáng)くなると思われる。地続きだけに、獨(dú)立したポジションを取る日本とは違った圧力がある。もちろん、中國(guó)もまた少子化?高齢化は目の前だ。新型コロナウイルスの蔓延が、中國(guó)の急激な世界進(jìn)出に対しての、見直しにつながるかも知れない。韓國(guó)は、困難な地理的位置にあるが、そろそろ心理的には中國(guó)から離脫し、客観的な世界観の中で飛び立つ必要があるのかも知れない。
※お詫び-前回、前々回で、文脈が読み取れなかったり、助詞の間違いがありました。校正はコラムニストの責(zé)任です。申し訳ありません。
■筆者プロフィール:石川希理
1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小學(xué)校?飛松中學(xué)校?星陵高校?神戸學(xué)院大學(xué)?仏教大學(xué)卒です。同窓生いるかな?小説?童話の創(chuàng)作と、善く死ぬために仏教の勉強(qiáng)と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文蕓祭りの選者(それぞれ隨筆と児童文學(xué))をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時(shí)折友人達(dá)などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時(shí)折禁酒(笑)。中學(xué)教員から県や市の教育行政職、大學(xué)の準(zhǔn)教授?非常勤講師などをしてきました。児童文學(xué)のアンソロジー単行本數(shù)冊(cè)。小説の自家版文庫(kù)本など?!竿捊}本の読み方とか、子どもへの與え方」「自分史の書き方」「人権問(wèn)題」「瞑想?仏教」などの講演會(huì)をしてきました。 ブログはこちら
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