<早分かり>禪宗の総本山からカンフー映畫の聖地、そして一大観光スポットへ、少林寺の変遷―中國

Record China    2008年3月10日(月) 14時46分

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80年代、カンフー映畫ブームを巻き起こして一躍有名になった少林寺。もともとは禪宗と少林拳の総本山として構(gòu)える格式高い寺院だが、最近は観光地化が進(jìn)んでいる。

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中國各所に點在する仏教寺院の中でも、世界で最も有名な寺といえば「少林寺」をおいて他にはないだろう。禪宗と少林拳の総本山である少林寺は、80年代初頭、同名の映畫「少林寺」が一大カンフー映畫ブームを巻き起こした。以來、世界中の武術(shù)ファン憧れの聖地となった。また、近年では観光地として大きく発展を遂げている。その歴史を紹介する。

その他の寫真

南北朝時代の西暦495年、北魏の孝文帝によって、現(xiàn)在の河南省登封市に建立された少林寺は、天竺からやってきた禪僧のために開かれた寺院である。禪宗では「壁観」と呼ばれる壁に向かって座禪を組む修行が最も重要視されており、少林寺の僧侶も日々、壁観に勵んでいた。長時間にわたる修行で疲労した身體を癒すために、いつしか少林寺の僧侶たちは修行の合間に武術(shù)訓(xùn)練で身體をほぐすようになったという。これが少林拳のはじまりである。

文武に優(yōu)れた少林寺の僧たちが全國に知られるようになるのは隋末のこと。唐の創(chuàng)始者?李世民(後の太宗)が鄭國政権の王世充を討伐する際に多數(shù)の僧兵が隨行したことが契機(jī)である。本來、殺生と肉食が禁止されているはずの僧侶が、この時は特別に戒律を破ることを許可されたという。

最盛期で2000人の僧が在籍した少林寺は、1928年の軍閥混戦の折りに火災(zāi)に見舞われ、その主要建築の多くが消失してしまう。その後、1982年には香港映畫「少林寺」の舞臺となり、世界中にカンフー映畫ブームを巻き起こす。この作品は、先に述べた李世民による王世充討伐を描いたものである。また、この映畫をきっかけに、全國武術(shù)コンテストの優(yōu)勝者であったジェット?リー(李連傑)は世界的なスターにのしあがった。

近年では重要な観光資源としてビジネス化が著しい。1988年以降、少林拳の武術(shù)ショーは世界各地で開催されるようになり、1996年には公式HPを開設(shè)。1998年には少林寺実業(yè)発展有限公司として企業(yè)化。関連グッズなどの商標(biāo)登録が進(jìn)む。2007年には國家旅遊局によって「嵩山少林景區(qū)」が國家5A級の観光地に指定された。これを少林寺実業(yè)発展有限公司CEOの釈永信(シー?ヨンシン)氏は、社會発展に伴う変化とし、「少林寺は中國発展の縮図」としている。(翻訳?編集/愛玉)

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