呂 厳 2017年3月4日(土) 12時30分
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奈良で留學(xué)生活を送った中國人男性が、東京で目にした寫真展の案內(nèi)をきっかけに當(dāng)時の心情を振り返っている。
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帰宅途中の私の目に飛び込んできたのは、奈良県出身の寫真家、入江泰吉の作品展の案內(nèi)だった。私はすぐさま會場へと向かった。
【その他の寫真】
留學(xué)生として日本に來た私が奈良で生活していた頃、JR奈良駅を毎日のように通過していた。駅のよく目立つ場所にはポスターが貼り出されているのだが、最も頻繁に目にしたのが入江泰吉の「斑鳩の里落陽」と上村松園の美人畫だった。
當(dāng)時はインターネットが今ほど発達(dá)していない。國際電話をかけるには灰色の電話ボックスを探さなければならない時代だった。今でも覚えているのが1998年の夏の夜の出來事。サッカーワールドカップの生中継を見たかった私は観戦場所を探して奈良の街を自転車でさまよっていた。しかし、濕り気を帯びた通りにあったのは薄暗い街燈だけ。私の古都に対する憧れは閉塞感によって日を追うごとに消えて行き、心に重いものを感じるようになった。
東京に行きたいという私の願いがかなったのは2000年になる前だ。その後、奈良を経由して移動する機(jī)會が2度あったが、どちらもゆっくりと奈良の風(fēng)情を楽しむ時間はなかった。ただ、ここ數(shù)年の生活であれこれ経験する中で、ふと「奈良にいた頃に、『住めば都』的な心の広さがあればもっと多くの景色を目にすることができたかもしれない。思い出ももっと生き生きとしたものになっていたかもしれない」という考えが胸をよぎることがある?,F(xiàn)実の生活の中で「あの頃ああしていれば…」と考えてもどうしようもないのだが―。実際にできることと言えば、あの頃に戻れないことを嘆くことだけなのだ。
デジタル寫真を見慣れた目でたまにフィルムを眺めてみると、その重さがしっかりと伝わって來る。近いうちに再び奈良を訪れ、斑鳩の落陽を撮ってみたいと考えている。
■筆者プロフィール:呂厳
4人家族の長男として文化大革命終了直前の中國江蘇省に生まれる。大學(xué)卒業(yè)まで日本と全く縁のない生活を過ごす。23歳の時に急な事情で來日し、日本の大學(xué)院を出たあと、そのまま日本企業(yè)に就職。メインはコンサルティング業(yè)だが、さまざまな業(yè)者の中國事業(yè)展開のコーディネートも行っている。1年のうち半分は中國に滯在するほど、日本と中國を行き來している。興味は映畫鑑賞。好きな日本映畫は小津安二郎監(jiān)督の『晩春』、今村昌平監(jiān)督の『楢山節(jié)考』など。
■筆者プロフィール:呂 厳
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