日本の男性が長(zhǎng)年暮らした中國で死去、「恩返しになれば」と獻(xiàn)體―中國紙

Record China    2017年3月9日(木) 18時(shí)50分

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日本から中國の江蘇省蘇州市に移り住んだ87歳の男性が世を去った。故人の意思により、遺體は獻(xiàn)體として地元の醫(yī)大に提供されることになった。

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2017年3月8日、楊子晩報(bào)によると、日本から中國の江蘇省蘇州市に移り住んできた87歳の男性が自宅で世を去った。故人の意思により、遺體は獻(xiàn)體として地元の醫(yī)大に提供されることになった。

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亡くなった北川光男さんは、妻とともに2003年に大阪から蘇州市呉江區(qū)に移り住み、服飾関連の企業(yè)を設(shè)立。250臺(tái)余りもの機(jī)器を運(yùn)び込み、主に刺繍業(yè)を営んでいた。住み始めてしばらくすると、蘇州での生活が気に入ったという。

北川さんは生前から「獻(xiàn)體として大學(xué)病院に提供してくれれば、多少は貢獻(xiàn)できる」と話していた。妻の十寸子さんも「住んでいる盛澤鎮(zhèn)はふるさとの奈良によく似ていて、第二の故郷になると早いうちから思っていた」とし、ここ蘇州で獻(xiàn)體するのは、醫(yī)學(xué)への貢獻(xiàn)にもなるし、蘇州への恩返しにもなると、心の內(nèi)を明かした。

2009年、夫婦は地域の紅十字會(huì)(赤十字)で獻(xiàn)體提供の手続きを済ませたが、子どもは獻(xiàn)體に反対していたという。當(dāng)初は移り住むことにも不安が殘ると反対していたが、大學(xué)で醫(yī)療を?qū)Wんでいるという子どもは獻(xiàn)體の重要性を深く認(rèn)識(shí)しており、現(xiàn)在は夫婦の考えに理解を示すようになった。

地域の紅十字會(huì)の責(zé)任者は、「北川さんは國境を越えて醫(yī)學(xué)研究に貢獻(xiàn)し、醫(yī)療の懸け橋となって、人生を終えられた。その深い愛情に満ちた思いを、すべての中國人が心にとどめ、受け継いでいく」と感慨を言葉にした。

なお、外國人の遺體が獻(xiàn)體として提供されるのは江蘇省では初めてだという。(翻訳?編集/岡田)

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