黃 文葦 2017年3月12日(日) 13時(shí)40分
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中國では、日中交流史に関連する都市が多い。西安もその一つである。寫真は西安の大雁塔。
日中両國のメディアによると、中國國家観光局駐日本代表処が主催する「第2回中國ツアープランニングコンテスト」の表彰式が2月23日夜、在日本中國大使館で開催された。同コンテストには日本の大學(xué)生、専門學(xué)生計(jì)188人が參加し、寄せられた応募作品は196プラン、そのうち40人が受賞した。
これはとても有意義な活動(dòng)だと思う。日本の若者が中國ツアーを企畫することによって、現(xiàn)在の中國に興味を持つようになるはず。
もう一つ、日中関係に関する重要なイベントを紹介したい。昨年の年末、東京都內(nèi)で中國の南京市による初めての日本人観光客向けのイベントが開催された。南京は中國の四大古都と呼ばれ、2500年の歴史を持つ都市である。日本人も中國人も記憶している日中戦爭中には「南京事件」が起きるなど激動(dòng)の歴史を歩んできた。2017年は日中の國交回復(fù)45周年の記念の年にあたる。イベントに參加した南京の観光業(yè)界の方々は「観光と歴史問題は矛盾しない」と意気込んでいるようである。2017年には「博愛の旅」というイベントが企畫されている。これは、孫文が掲げた「博愛」の精神にもとづき、1000人の日本人を南京に招待して、交流を進(jìn)めるというものである。
歴史から恨みを覚えるのではなく、未來を拓く勇気を貰うべきである。南京市が「日本人向け観光」をアピールすることに感服した。
2016年の訪日中國人旅行客は前年比で27.6%増加し、延べ637萬人に達(dá)した。訪中日本人観光客は前年比で3.6%増加し、延べ258萬人に達(dá)した。両國を行き交う人々は延べ900萬人近い。
そう言えば、中國へ行く日本人観光客の人數(shù)が日本に來る中國人観光客の半分以下である。近年、日本內(nèi)閣府の世論調(diào)査では、中國に「親しみ感じない」日本人が90%以上である。正直言って、私はいつもそういう世論調(diào)査に懐疑的な目を向けている。もし、世論調(diào)査を中國政府?中國人?中國市場?中國伝統(tǒng)文化?中國歴史?中國風(fēng)景など項(xiàng)目に分けて実施したら、それぞれ好感度が隨分違うと考えられる。中國を嫌いになっても目を背けないでほしい。
ネット時(shí)代になっても、一番いいコミュニケーションはやはり人と人が直接話し合うこと、それは私の持論である。また、外國のことを知るには、自分の目で確かめて、肌で感じるのがベストである。これから毎年、日中両國を行き交う人が1000萬人に達(dá)したら、両國民の相互理解が徐々に深まると信じている。
中國では、日中交流史に関連する都市が多い。西安もその一つである。
記憶は14年前の2003年にさかのぼる。當(dāng)時(shí)中國の西安にある西北大學(xué)での日本人留學(xué)生寸劇事件を思い出した。大學(xué)で開かれた文化祭で、日本人の男子留學(xué)生3人と教師1人が寸劇に出演した。不適切な衣裝で卑猥(ひわい)な寸劇を行ったと見なされて、「中國を侮辱した」という不満が中國の學(xué)生たちの間に急速に広がり、間もなく數(shù)千人の學(xué)生デモが発生し、激しい反日事件に発展していった。
私がずっと気になることは、その後、3人の日本人留學(xué)生と教師1人は恐らく中國に行くことはもうないだろう。「帰れ」と言われて帰國した日本人留學(xué)生はかなり辛かっただろう。その例は明らかに日本人と中國人がお互いの文化を理解できていないことであった。そのような寸劇は日本の居酒屋の宴會で使えるものかもしれないが、中國の大學(xué)の文化祭に持ち込み唐突だと見なされるのは仕方がない。それにしても、當(dāng)時(shí)の中國の政治や社會狀況は閉塞であったと言わざるを得ない。
実は、その翌年の2004年、西北大學(xué)は中國唐時(shí)代に日本から中國に渡った1人の遣唐留學(xué)生が客死したことを記す墓誌を同市內(nèi)で発見した。この留學(xué)生は奈良時(shí)代、阿部仲麻呂らとともに遣唐使の一員として中國に渡ったと見られる。中國で當(dāng)時(shí)の日本人の墓誌が発見されたのは初めてである。墓誌は、ほとんど知られていない遣唐留學(xué)生の実態(tài)を伝えており、日中交流史の新たな側(cè)面を浮き彫りにする貴重な発見と言える。
墓誌の一部の文字は判読できないが、「姓は井、字(名)は真成。國號日本」とはっきり読み取れ、開元二二(七三四)年正月に三十六歳で死去したとある。禮儀正しさは比類なく、たゆまず勉學(xué)に勵(lì)んだ努力家であったと稱えられている。ときの玄宗皇帝は、英才の早世を悼み「尚衣奉御(皇帝の衣を管理する官位)を贈(zèng)った」とも記されている。
中國唐朝の貞観年間から、日本から中國へ「遣唐使」が派遣されていた。回?cái)?shù)は13回という。唐朝時(shí)代の開放的な気風(fēng)は今なお世間の人に語り伝えられている。先人はよく八方からの來客を心から溫かく迎え、優(yōu)遇した。そのことによって、唐朝の中國は、當(dāng)時(shí)、世界中で一番隆盛な國とみなされていた。
現(xiàn)在の中國は昔の中國に學(xué)ぶべきことがたくさんあるだろう。遣唐留學(xué)生が優(yōu)遇されたのに、現(xiàn)代の日本人留學(xué)生が「帰れ」と言われてしまったことを思うと、中國人として殘念極まりなく、申し訳ない気持ちになった。
14年前に悲しみを抱きながら西安を離れた日本人留學(xué)生に話したいことがある?!冈伽游靼菠蛟Lれてみませんか。あなたたちにとって西安での昔の記憶は辛いものであるかもしれないですが、西安は怖い都市ではありません。遣唐留學(xué)生には親切なところでした。この十?dāng)?shù)年間、西安も中國と共に大きく成長しました。きっと唐の都の歴史と現(xiàn)実から新しい発見が見つかると信じましょう」と。
■筆者プロフィール:黃 文葦
在日中國人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ?、両國のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任。現(xiàn)在、教育?社會?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來日以降、中國語と日本語の言語で執(zhí)筆すること及び両國の「真実」を相手國に伝えることを模索している。
在日中國人作家。日中の大學(xué)でマスコミを?qū)煿イ?、両國のマスコミに従事。十?dāng)?shù)年間マスコミの現(xiàn)場を経験した後、2009年から留學(xué)生教育に攜わる仕事に従事。2015年日本のある學(xué)校法人の理事に就任?,F(xiàn)在、教育?社會?文化領(lǐng)域の課題を中心に、関連のコラムを執(zhí)筆中。2000年の來日以降、中國語と日本語の言語で執(zhí)筆すること及び両國の「真実」を相手國に伝えることを模索している。Facebookはこちら「黃文葦の日中楽話」の登録はこちらから
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