<3.11 中國から屆いたエール(1/3)>日本人留學(xué)生との募金活動(dòng)、50元を入れてくれた母子の後ろ姿に心から「ありがとう」―中國人學(xué)生

日本僑報(bào)社    2017年3月11日(土) 13時(shí)0分

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2011年3月11日に発生した東日本大震災(zāi)から今日で6年が過ぎたが、被災(zāi)地では今なお懸命な復(fù)興が行われている。寫真は上海で行われた募金活動(dòng)。

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2011年3月11日に発生した東日本大震災(zāi)から今日で6年が過ぎたが、被災(zāi)地では今なお懸命な復(fù)興が行われている。震災(zāi)當(dāng)時(shí)、多くの支援や勵(lì)ましの聲が世界中から屆いた。同年に行われた「第七回中國人の日本語作文コンクール」(日本僑報(bào)社主催)では、「がんばれ日本!―千年に一度の大地震と戦う日本人へ」が急きょテーマとして追加され、中國の學(xué)生から多くの溫かい作文が寄せられた。6年前に思いをはせる今日、その中から一部をご紹介したい。

その他の寫真

■「王君の『頑張れ日本』」胡萬程さん(國際関係學(xué)院)

東北大震災(zāi)発生後、僕は中國の大學(xué)生が集うBBSに「頑張れ日本、災(zāi)害に負(fù)けるな。一日も早い復(fù)興を」と書き込んだ。すると、友人からも次々に応援する書き込みがあった。そこへこんな書き込みが入ってきた?!袱钉蓼撙怼埂%伐绁氓坤盲?。コメントしたのは、高校時(shí)代の同級(jí)生の王くん。彼は「憤青(民族意識(shí)が強(qiáng)い若者)」と呼ばれている。僕や他の友人たちは反論した?!袱饯欷扦馊碎gか」「最低だ、同じ中國人として恥ずかしい」。すると王くんは「俺は日本人を恨んでる。じいちゃんは日本鬼子に殺された!日本は敵だ。日本は死者が2萬人を超えるかもしれない?たった2萬人じゃないか!南京大虐殺の死者は30萬人!しかも、虐殺されたんだ!」。僕は返事に詰った。

その後、僕は中國のネットで悪意のあるコメントを何度も読み返した。そして気がついた。この人たちは日本について、侵略戦爭のことくらいしか知らないんだと。その日の夜、王くんにメールを書いた。東北大震災(zāi)について、四川地震の時(shí)の日本救援隊(duì)について、日中関係について。寫真や映像を添えて送ったが、返事はなかった。このことを忘れかけたころ、ようやく王くんからメールが返ってきた?!溉恳姢郡?。ショックだった。家屋の殘骸、火災(zāi)、川に浮かぶ車、両親を失った子供の顔、助けを待つ老人。悲しかった。送ってくれた映像で津波を初めて見た。聲も出なかった。それに四川地震の時(shí)、日本救援隊(duì)が一番早く災(zāi)害地に來てくれたのか。知らなかったよ。この前はひどいことを言ってごめん」。

王くんはBBSにも「再び日中戦爭が起きたら俺は銃をとって最前線で闘う。しかし、もし日本が再び災(zāi)害に遭ったら、擔(dān)架をかついで被災(zāi)地の最前線で日本人を救う。頑張れ日本!」とコメントを書きこんでいた。王くんも「頑張れ日本」と言ってくれた。僕は被災(zāi)した人を助けることはできなかった。しかし、小さな「頑張れ日本」の行動(dòng)ができた。中國の青年の一人として、僕は心から周りの人たちとともに日中にとって役に立つことをしたい。寄付も、エールを送ることも、友達(dá)の見方を変えることも。僕は僕にできる日本救援をする。

■「頑張れ日本」顧威さん(中山大學(xué)

4月の広州はもう暑かった。その日、私は日本人留學(xué)生が発起した、東北大震災(zāi)の募金活動(dòng)に、中國學(xué)生側(cè)のボランティアとして參加した。募金會(huì)場は校門と食堂の間。近くの住民もよくそこを通った。掲示板に張られたポスターは真ん中はオリーブの枝を銜えている平和の鳩で、下で中國と日本の國旗が交差していた。ポスターをじっと見つめた私は考え込んでいた。募金をしてくれる人はいるかな?そして、なぜ日本人を手伝うのかと責(zé)められたらどうしよう。

私とペアになったのは卵顔をしている恵美子という留學(xué)生だった。3月末に中國に來たばかりだそうだ。恵美子は「中國人はみんな親切だから、きっと大丈夫」と私に微笑みかけた。その時(shí)、向こうから4、5歳ぐらいの男の子が走ってきた。若く見えるお母さんがついていた。恵美子は子供に手を振りながら、「こんにちは」と言った。その子はまじめな顔をして、「ドラえもんは無事なの?」と言って目を丸くしていた。私は思わず笑ってしまった。恵美子はしゃがんで、「大丈夫だよ!タケコプターをつけて飛べるから!」と言った。男の子はほっとしたように笑った?!袱饯Δ?!ドラえもんに何か伝えたいことがある?メッセージを書いてくれたら私が屆けてあげるよ」。私はカードとカラー鉛筆を渡した。中國人のメッセージを集めるために用意したものだった。男の子は喜んで道の傍らに座って描き始めた。

「2人とも日本人ですか?」とお母さんが話しかけてきた。説明すると「中國人もいるんですね。でも、どうしてボランティアをしているんですか?」と聞かれた。私は「募金活動(dòng)がうまくいくようにお手伝いしようかと思ったんです。災(zāi)難の前ではみんな同じでしょう」と答えた?!袱饯Δ扦工?。四川大地震の時(shí)、私たちも外國から助けてもらいましたよね。あの子も地震に関心を持っているようです」と笑いながら、息子の方を見た。優(yōu)しいお母さんと可愛い息子さんを見て、私はちょっと感動(dòng)した。先ほどの不安は私の心が狹いからではないかと思った?!感证沥悚?、はい!」。男の子のカードに描かれていたのは、ドラえもんが子供たちと手を繋ぎ、空を飛んでいる絵だった。お母さんは50元札を募金箱に入れて、「お兄ちゃんとお姉ちゃんにサヨウナラを言って」と言い、男の子の手を握った。暖かい光を浴びながら歩いていく母子の後ろ姿を見送りながら、私は心から「ありがとう」と言った。

(編集/北田

※本文は、第七回中國人の日本語作文コンクール受賞作品集「甦る日本!今こそ示す日本の底力」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2011年)より。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。

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