日本僑報(bào)社 2017年3月11日(土) 17時(shí)0分
拡大
2011年3月11日に発生した東日本大震災(zāi)から今日で6年が過(guò)ぎたが、被災(zāi)地では今なお懸命な復(fù)興が行われている。資料寫(xiě)真。
(1 / 2 枚)
2011年3月11日に発生した東日本大震災(zāi)から今日で6年が過(guò)ぎたが、被災(zāi)地では今なお懸命な復(fù)興が行われている。震災(zāi)當(dāng)時(shí)、多くの支援や勵(lì)ましの聲が世界中から屆いた。同年に行われた「第七回中國(guó)人の日本語(yǔ)作文コンクール」(日本僑報(bào)社主催)では、「がんばれ日本!―千年に一度の大地震と戦う日本人へ」が急きょテーマとして追加され、中國(guó)の學(xué)生から多くの溫かい作文が寄せられた。6年前に思いをはせる今日、その中から一部をご紹介したい。
【その他の寫(xiě)真】
■「頑張れ、日本―地震から自信へと」孫培培さん(青島農(nóng)業(yè)大學(xué))
「日本で、大地震が起こったらしいよ」。自分の耳も疑った私は、ひとまずネットで検索してみた。町や村が一瞬にして、破壊され、流れされていく動(dòng)畫(huà)が目に入った時(shí)、どうしても信じることができなかった。それから、私は毎日暇さえあれば、地震情報(bào)を確認(rèn)した。ずっと大好きだったバラエティー番組も見(jiàn)る気がなくなり、地震情報(bào)ばかりが気になっている自分に気づいた。そして、寮のルームメートみんなが地震情報(bào)のマニアになってしまった。
「日本人って、今どうして生活しているんだろうね?」「そうねえ、本當(dāng)にかわいそうだよね」「日本人に何かしてあげられないのかな?」「私、日本に友達(dá)が何人かいるの。ちょっとメールを送る」「私、毎年お年玉を貯めているけど、被災(zāi)地に送りたいの!でも、どこへ寄付したらいいのかな」
みんなの話(huà)を聞きながら、私も懸命に考えていた。地震と戦っている日本人を応援してあげたい。もし大きな翼があれば、海を越えて日本に行き、日本人の力になりたい。しかし、私には翼などあるわけがない。この時(shí)、誕生日にもらった孔明燈(天燈、熱気球)を思い出した。それは、自分の願(yuàn)いを紙に書(shū)いて、孔明燈の中に置き、空に飛ばすと願(yuàn)いが葉うというものだった。「孔明燈を作ろうよ!」とすぐみんなに話(huà)した?!缚酌鳠簸纤饯郡沥我恧趣いΔ铯堡工趣撙螭胜赓m成してくれた。私は材料を買(mǎi)ってきて、みんなと孔明燈を作り始めた。赤、黃、青、色とりどりの紙に、「ニュース畫(huà)像で心を痛めています」「日本にいる皆さんのことを心配しています」「日本人なら立ちなおせると思います」「頑張れ、日本!地震から自信へと!」とみんなの願(yuàn)いを書(shū)き込んだ。そしてロウソクに火をつけて空に飛ばした??酌鳠簸悉椁椁裙猡辘胜榭崭撙wんでいった。
日本の方々はきっと今回の災(zāi)難を乗り越え、もっと頑張っていけると私は信じてやまない。飛んでいく孔明燈を見(jiàn)ながら合掌して、「頑張れ、日本!地震から自信へと!」と私は心の中で叫んだ。
■「心に桜の花が咲く季節(jié)に日本に行く」李金星さん(北京林業(yè)大學(xué))
日本語(yǔ)能力試験一級(jí)に合格した褒美に、父は私の日本旅行を承諾してくれた。父は「日本に行くなら桜が咲く季節(jié)に行け」と言った。私もそのつもりで、首を長(zhǎng)くして待っていた。しかし、思いがけないことに3月11日、日本の東北地方は大地震に襲われた。想像を絶する地震と津波の被害をテレビで目撃し、私は日本に行けるかどうかを心配するどころではなかった。
私が日本語(yǔ)科を志望する時(shí)、父は「お前は本當(dāng)に日本が好きなのか?好きだったら好きだとはっきり言え。政治や理念や民族を超えて好きなら好きだと言える時(shí)がきたんだ。日本を好きになれないと、本場(chǎng)の日本語(yǔ)を身につけるのが無(wú)理だ」と念を押した。今、素直に日本が好きだと言えるのも父の影響であるかもしれない。
「日本が好きだ」というだけで、日本のためになにをすればいいのかを分からないまま、1カ月ほどの月日が流れた。4月9日、NHKのニュース番組で被災(zāi)地である福島の小名浜で咲いた桜の花を見(jiàn)た。被災(zāi)地に咲いたその桜の花は、震災(zāi)で亡くなった人たちのための鎮(zhèn)魂の花のように思われたし、生き殘った人たちのための希望の花のようにも思われた。過(guò)酷な環(huán)境の中でもくじけずに堂々と咲いている桜の花は、まさに地震と戦う日本人の姿でもあるように思われた。
今の私はできることを精一杯にやらなければならないと思った。私は日本地図を買(mǎi)って、東北地方を赤い色で塗った。中國(guó)では赤い色が縁起のいい色である。そして、東北被災(zāi)地に新しい復(fù)興情報(bào)が入ると地名に桜の花の模様の切り紙を貼った。桜の花模様の切り紙の下には「仙臺(tái):4月13日、仙臺(tái)空港再開(kāi)。宮城:4月14日、震災(zāi)後初のマグロ水揚(yáng)げ。巖手:4月18日、巖手を含むトヨタ自動(dòng)車(chē)の日本全工場(chǎng)が操業(yè)再開(kāi)」などの復(fù)興の內(nèi)容を書(shū)き入れた。私は今日も日本地図の前に立って手を合わせて祈っている。日本被災(zāi)地の人たちの心に、一日も早く喜びの桜の花が咲くように。
(編集/北田)
※本文は、第七回中國(guó)人の日本語(yǔ)作文コンクール受賞作品集「甦る日本!今こそ示す日本の底力」(段躍中編、日本僑報(bào)社、2011年)より。文中の表現(xiàn)は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報(bào)社の許可を得て掲載しています。
この記事のコメントを見(jiàn)る
日本僑報(bào)社
2017/3/11
2016/11/5
2016/7/16
2016/7/7
ピックアップ
we`re
RecordChina
お問(wèn)い合わせ
Record China?記事へのご意見(jiàn)?お問(wèn)い合わせはこちら
業(yè)務(wù)提攜
Record Chinaへの業(yè)務(wù)提攜に関するお問(wèn)い合わせはこちら
この記事のコメントを見(jiàn)る