<中國(guó)人観光客が見(jiàn)た日本>これが風(fēng)格!おんぼろの京都大學(xué)を見(jiàn)て心清らかな気持ちになった

Record China    2017年3月25日(土) 13時(shí)0分

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17日、京都を訪れた中國(guó)人観光客が、京都大學(xué)を見(jiàn)學(xué)した際の感想を旅日記につづった。

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2017年3月17日、京都を訪れた中國(guó)人観光客が、京都大學(xué)を見(jiàn)學(xué)した際の感想を旅日記につづった。

その他の寫(xiě)真

京都では比較的時(shí)間に余裕があったので、今日は夫の願(yuàn)いをかなえるべく、夫が憧れていた梅小路蒸気機(jī)関車館へ行くことに決めた。これまでの人生でいったい何があって、夫がこんなにも乗り物が好きなのか私はよく知らない。飛行機(jī)の型番、列車の時(shí)刻表など、日本に來(lái)てからはその癥狀が悪化して、駅の看板を見(jiàn)るたびに寫(xiě)真を撮る始末だ。だから、博物館見(jiàn)學(xué)はこのおじいさんに対する慰労になるだろう。

でも、不幸なお知らせがやってきた。蒸気機(jī)関車館は改裝工事中で、4月にならないと再オープンしないのだという。仕方がない、秀才くんの次の願(yuàn)いをかなえるとしよう。それは京都大學(xué)訪問(wèn)だ。この男の脳みそにはいったいどんな世界が広がっているのだろうか?私にはまったく理解できないけど、理解できない中で理解を深めることにしよう。

ついに秀才くん念願(yuàn)の京都大學(xué)にやってきた!ちょうど冬休みで學(xué)校はやっておらず、學(xué)生のいない學(xué)校は魂が抜けたような抜け殻だった。有名な吉田寮は、築100年を超えていまだに現(xiàn)役で使用している。そのおんぼろさは想像を超えるが、無(wú)數(shù)の若者たちがここで青春を過(guò)ごしてきたのだ。

中國(guó)では教育の大躍進(jìn)に伴い、どれだけの大學(xué)が誰(shuí)もいない田舎に高樓の建物を建て、學(xué)生たちは學(xué)校の食事や宿舎を比べ、恨みつらみや文句やらを言ってきたことか。學(xué)校は人とお金を使ってサービスに徹し、積極的に學(xué)生たちの生活環(huán)境を改善してきた。まあ、お偉いさんたちの検査対策でもあるのだが。でも學(xué)校の本當(dāng)に意義はどこにあるのだろうか?誰(shuí)か質(zhì)問(wèn)したことがあるのだろうか?中國(guó)の多くの學(xué)校はもはや學(xué)府としての威厳はなく、サービス業(yè)へと成り下がってしまった。

この中國(guó)の現(xiàn)狀と比べると、京都大學(xué)の設(shè)備は貧乏くさいと言える。100年以上前の宿舎を今でも保存し、使用しているのだ。でもこのことから、學(xué)者としての余裕と自信がよく分かる。率直に言って、観光の角度から見(jiàn)れば京都大學(xué)には見(jiàn)るに値するものは特にないが、學(xué)府という観點(diǎn)からすると、學(xué)問(wèn)の積み重ねによってできた風(fēng)格が感じられる。

このような大學(xué)を痩せた學(xué)者に例えるなら、中國(guó)の多くの大學(xué)はぶくぶく太った成金だ。京都大學(xué)は「自重自敬、自主獨(dú)立」を理念としているが、考えてみると學(xué)者たるものは、まず身をもって體験し努力実行することで、実踐することを會(huì)得するのだと思う。

京都大學(xué)で心清らかな気持ちになったとはいえ、旅行客としての私にとって、せっかくの1日を冬休みの學(xué)校と駅で過(guò)ごすだけではもったいないということで、夜の伏見(jiàn)稲荷大社へ行くことにした。夕闇が空を覆い、京都大學(xué)の外にある小さな書(shū)店から靜かで溫かな光が漏れていて、この溫かさの中に本の香りが漂うかのようであった。(翻訳?編集/山中)

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