<コラム>中國は清朝時代の「全國統(tǒng)治方式」を現(xiàn)在も踏襲

如月隼人    2018年1月29日(月) 19時0分

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內(nèi)モンゴル自治區(qū)出身のモンゴル族の知人が、「自治區(qū)主席はモンゴル族だが、共産黨委員會の書記は漢族だ。少數(shù)はやはり、頭を押さえつけられている」と話すのを聞いたことがある。実は、彼の発言には事実からズレている部分がある。寫真は中國共産黨の関連広告。

內(nèi)モンゴル自治區(qū)出身のモンゴル族の知人が、「自治區(qū)主席はモンゴル族だが、共産黨委員會の書記は漢族だ。少數(shù)はやはり、頭を押さえつけられている」と話すのを聞いたことがある。実は、彼の発言には事実とは多少ズレている部分がある。そのあたりをご紹介しよう。少數(shù)民族地域だけでなく、中國は現(xiàn)在も清朝時代の「全國統(tǒng)治方式」を踏襲しているということなのだ。

▼行政トップより地位が高い「共産黨委員會書記」

まず、中國政府は國の下にある「省クラス行政區(qū)」を34カ所指定している。うち臺灣省は、中華人民共和國の統(tǒng)治下にはいったことが1度もないので除外する。香港とマカオも、現(xiàn)在のところはその他の「本土」と狀況がかなり違うので除外する。殘りの「省クラス行政區(qū)」は31カ所だ。

「省クラス行政區(qū)」には22の省、4つの中央直轄市、5つの民族自治區(qū)がある。省政府のトップは省長、中央直轄市なら市長、民族自治區(qū)は主席だ。しかし省長?市長?主席は各地域のトップではない。

中國の行政區(qū)畫にはそれぞれ共産黨委員會が設(shè)けられている。各地の共産黨委員會は擔當區(qū)の行政?立法?司法、さらには思想などもすべて指導する。つまり、共産黨委員會の方が政府より格上であるわけだ。共産黨委員會のトップは書記だ。つまり共産黨委員會の書記が、その地方における最高権力者ということになる。省長?市長?主席は通常、共産黨委員會メンバーとしては副書記の肩書を持っている。

さて、中國にある少數(shù)民族自治區(qū)は「內(nèi)モンゴル自治區(qū)」「新疆ウイグル自治區(qū)」「寧夏回族自治區(qū)」「チベット自治區(qū)」「広西チワン族自治區(qū)」だ。自治區(qū)の共産黨委員會書記はすべて、他の地方出身であり、対象となっている民族に屬する者はいない。

▼出身地の最高権力者には登用せず別の土地に赴任させる

冒頭で紹介された私の知人の発言は、そこまでなら正しい。ただし、さらに知っておけねばならないのは、中國の省クラス行政區(qū)の共産黨委員會書記は少數(shù)民族自治區(qū)以外でも、すべて他地域の出身であることだ。

実はこの、「地方のトップは他地域出身者に限る」という方式が、清朝と同じなのだ。外來異民族として中國(漢人地?。─蚪y(tǒng)治した清朝は、漢人に比べれば人口が圧倒的に少なかったこともあり、地方の自立性が高まることを極めて恐れた。そのため、皇帝に直結(jié)した中央官僚を地方に派遣して統(tǒng)治させた。官僚の多くは漢人だったが、出身地には赴任させなかった。地元の人間との結(jié)託を防ぐためだ。

考えてみれば、省クラス行政區(qū)の共産黨委員會書記を決めるのは共産黨中央だ。清朝皇帝が地方トップを決めたのと同じと構(gòu)造ということになる。

▼地方を転々とするのが一般的である黨委員會書記

本稿執(zhí)筆にあたり、1月20日現(xiàn)在の省クラス行政區(qū)の共産黨委員會書記と省長?市長?主席を改めて調(diào)べてみた(省長などは、正規(guī)就任前の「代理」の肩書である者を含む)。

書記の場合、すべての行政區(qū)で籍貫(本籍)も出生地も他地域だった。遼寧省生まれである天津市の李鴻忠書記がこれまで遼寧省、広東省、湖北省の3カ所に赴任したように、各地を転々と異動してきた例が多い。江西省の鹿心社書記は湖北省、中央政府(國土資源部)、甘粛省で仕事をしている。つまり、中央政府での勤務(wù)経験がある人物も珍しくない。さらに、共産黨中央や國有企業(yè)での勤務(wù)経験のある書記もいる。

やや例外はチベット自治區(qū)の呉英傑書記だ。山東省出身だが17歳の時に「知識青年」としてチベット自治區(qū)に赴任し、それ以降一貫して同自治區(qū)で仕事をしてきた。

省長や市長についても狀況は同様で、出身省の省長に就任したのは江蘇省の呉正隆省長だけだ。もっとも呉省長は山西省太原市の太原機械學院(大學)に學び、卒業(yè)後は中央政府の機械工業(yè)部や中國機械裝備集団公司、重慶市政府などでの勤務(wù)が長く、江蘇省での勤務(wù)は2016年9月からだ。中國の「地方人事の通例」からすれば、遠くはない將來に他地域に異動する可能性もある。

▼中央に逆らえない中國の地方トップ

日本のように地域の住民がその地方のトップを選ぶ場合、中央と対立する首長が出現(xiàn)する場合がある。翁長沖縄県知事は米軍基地問題で日本國政府と対立している。小池東京都知事も中央與黨である自民黨と対立している。かつては、革新都政の美濃部東京都都知事が自民黨政権と鋭く対立し、2期目を目指した1971年の都知事選では佐藤栄作首相を厳しく批判する「ストップ?ザ?サトウ」をスローガンに當選を果たした。

中國の場合、地方トップが「ストップ?ザ?習近平」を唱えることは全く考えられない。例外としては、2012年3月に腐敗や職権亂用があったとされて失腳した重慶市の薄熙來書記がいる。薄書記は実際には、すでに內(nèi)定していた同年秋の習近平氏の共産黨総書記への就任を妨害して、自分が取って変わろうと動いたために「排除」されたとされる。

薄書記にしても、表立って「ストップ?ザ?習近平」を唱えたのではない。また、ある程度まで「計畫」を進められたのは、共産黨中央に支持者が存在したからとされる。ちなみに、退任後の2014年に失腳した共産黨中央政治局の周永康元常務(wù)委員は、薄書記の後ろ盾のひとりだったとされている。

▼民族自治區(qū)の行政トップには該當民族を據(jù)える

他地域出身者を登用する各地の共産黨委員會書記や省長?市長と、民族自治區(qū)政府の主席の狀況は異なる。內(nèi)モンゴル自治區(qū)の布小林主席は內(nèi)モンゴル出身でモンゴル族。ちなみに彼女は共産黨革命世代の高級幹部のひとりで、副首相にも就任したオラーンフ(烏蘭夫、日本ではウランフなどとも表記)の孫娘だ。

広西チワン族自治區(qū)の陳武主席は同自治區(qū)出身のチワン族。これまでずっと、同自治區(qū)で仕事をしている。チベット自治區(qū)のチェ?ダルハ主席は雲(yún)南省出身だがチベット族で、勤務(wù)経験があるのは雲(yún)南省と同自治區(qū)だ。新疆ウイグル自治區(qū)のショホラト?ザキル主席は同自治區(qū)出身のウイグル族で、同自治區(qū)で仕事をしてきた。

▼辺境民族の思想?信仰は自由だった清朝、厳しく統(tǒng)制する現(xiàn)代中國

ただし、いわゆる少數(shù)民族地域の統(tǒng)治法は、中華人民共和國とかつての清朝では大いに異なる?,F(xiàn)在の民族自治區(qū)主席は全員が共産黨員だ。つまり思想信條は共産黨中央と合致していることになる。自治區(qū)內(nèi)の政治方針についても、現(xiàn)地共産黨委員會に従わねばならない。

清朝宮廷は、モンゴル、チベット、ウイグルや回族などの「內(nèi)部事情」には、やむをえないと判斷した場合を除いて関與しなかった。信仰についても、チベット族に対しては「仏教の庇護者」として振舞い、イスラム教を信じる民族に対しては「イスラムの理解者」として対応した。

辺境民族側(cè)としては、一層の自主性の獲得に努めたが、清朝に離反することはしなかった。清はその「緩い統(tǒng)一」により安定を保っていた。

現(xiàn)在の中國は、體裁としては自治區(qū)主席に少數(shù)民族の人材を配置している。民族固有の習慣についても一定の配慮をしているが、思想や信條で民族の獨自性に大きな制限をかけている。

▼中央政府の干渉強化は辺境民族からすれば「裏切り行為」

狀況が変化したのは19世紀になり歐米列強が利権を求めて押し寄せたからだ。清朝側(cè)の內(nèi)部事情も複雑だったが、辺境地域を現(xiàn)地民族に任せておいたのでは危険と判斷し、干渉の度合いを格段に強め始めた。この動きは辺境民族側(cè)にすれば、清朝の「裏切り行為」にほかならなかった。このことが、現(xiàn)在の中國でも「獨立運動」が発生する遠因になっている。

中國共産黨?中國政府は西側(cè)諸國による干渉を強く警戒している。真に危険なのは軍事力行使ではなく、自由主義や民主主義を浸透させ、共産黨政権を除去する「和平演変(ホーピン?イエンビエン=平和的な政権転覆)」との認識だ。主力民族である漢族を主體とする政権が、もともと価値観が異なる少數(shù)民族に強く干渉する構(gòu)図は清朝末期と同様だ。

ここでは、現(xiàn)在の中國の少數(shù)民族に対する統(tǒng)治の是非については、あえて論じない。ただ、思想や考え方までの統(tǒng)一を目指し、社會の安定も維持する作業(yè)は極めて困難なはずと指摘しておく。

■筆者プロフィール:如月隼人

日本では數(shù)學とその他の科學分野を勉強したが、何を考えたか北京に留學して民族音楽理論を?qū)煿ァH毡兢藨盲皮椁鲜长伽毪郡幛司幖浾撙蚣跇I(yè)とするようになり、ついのめりこむ?!钢袊慰諝荨工蛘i者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執(zhí)筆。

■筆者プロフィール:如月隼人

1958年生まれ、東京出身。東京大學教養(yǎng)學部基礎(chǔ)科學科卒。日本では數(shù)學とその他の科學分野を勉強し、その後は北京に留學して民族音楽理論を?qū)煿?。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業(yè)とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する?!钢袊慰諝荨工蛘i者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執(zhí)筆。中國については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結(jié)局は得」が信條。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。

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